国民の敬意とは?
「女性セブン」(1月23日号)に「なぜ『女性天皇』『女系天皇』ではいけないのか」という特集。
賛成派は、私の他に田原総一朗氏、三浦瑠麗氏、辛酸なめ子氏、多賀幹子氏。反対派は、八木秀次氏、ケント・ギルバート氏、竹内久美子氏、竹田恒泰氏。この中で八木氏がこんな発言をされている。
「女系が天皇になれば、血筋において一般国民との質的な差はなくなり、敬意の対象とならなくなるでしょう」と。これは奇妙な発言ではないか。
天皇のお子様が皇室典範の(新しい)規定に従って、天皇になられる。その場合でも、親に当たる天皇が女性なら「血筋において一般国民との質的な差はなくな」る、と言うのだ。
一般国民の場合、勿論、親は「天皇」ではない。天皇のお子様か、一般国民の子供か。そこには、決定的に「質的な差」があるはずだ。しかし、八木氏の場合、親に当たる天皇が女性なら“差”はなくなる、と考えている。つまり、「天皇か、一般国民か」の違いよりも、男女の性別を重視すべきである、との立場。
天皇という尊貴な地位を随分、軽く見ていることになろう。
だが圧倒的多数の国民は、そこまで天皇の地位を軽視していない。天皇のお子様に対しては、親に当たる天皇の性別に関わりなく、素直に「敬意」を表するはずだ。天皇のお子様なら、他の誰よりも、天皇のお考えやお気持ちをしっかり受け継いでおられると期待するのが、自然な国民感情だろう。そのような国民感情こそ、皇室が存続し、その役割を果たされる為に、欠かせない基盤だ。
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