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  • 執筆者の写真高森明勅

ボーカル・マジョリティーという造語


ボーカル・マジョリティーという造語

ボーカル・マジョリティーという造語


つい最近まで「ボーカル・マジョリティー」という言葉は無かった。私の造語だから。


11月20日のブログ「声なき声を『聞こえる声』に」で使ったのが最初。「サイレント・マジョリティーは、そのままでは団結した活動的な少数派(ボーカル・マジョリティー又はノイジー・マジョリティー)に敗ける。しかし、マジョリティーが“サイレント”ではなく、自覚的に『声』を挙げ始めれば事態は変わる。


サイレント・マジョリティーからボーカル・マジョリティーへ」と。それまで勿論「サイレント・マジョリティー」という言葉はあった。その反対語が「ボーカル・マイノリティー(又はノイジー・マイノリティー)」。だが、マジョリティーだからと言って“サイレント”と決め付けるのはおかしい。“ボーカル”に変身できるはずだ。又、変身しなければならない局面もあるはずだ。


「圧倒的多数の国民が“沈黙”を続けると、どうなるか。少数派の“声”だけ(!)が拡大的に喧伝(けんでん)される結果になる。サイレント・マジョリティーは自覚的・積極的に声を挙げるボーカル・マジョリティーに変身しなければならない。ゴー宣道場はその触媒であるべきだろう」(11月26日のブログ「誰が女性天皇の配偶者を『非難』するのか?」)


そんな私見を披露した。

これに対し、小林よしのり氏が早速、賛同して下さった(11月26日「ボーカル・マジョリティー=『戦うゴー宣道場』」)。まことに心強く有難い。


私の着想も、以前からの問題意識に加えて、時浦兼氏のブログ(11月15日「妄想するより思想しよう!東海ゴー宣道場!」)に「サイレント・マジョリティーの声なき声を、国民的議論で聞こえる声にしよう!」とあったのが、直接のキッカケだった。名古屋で初めて開催される12月道場。多数派がサイレントからボーカルへ壮大な転換を遂げる為の、着実な第1歩になることを目指したい。前人未踏の企てだ。

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