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  • 執筆者の写真高森明勅

「男系」「女系」定義の不均衡


「男系」「女系」定義の不均衡

「男系」「女系」定義の不均衡

よく「女系の意味も知らないで」と上から目線で語る人がいる。しかし、一般に通用している「女系」概念それ自体が問題を孕んでいる。その事実に気付いていない場合が殆ど。具体的にはこういう事だ。


普通、「(皇統における)男系とは父親を通じて天皇に繋がる血筋」と説明される。ならば、「女系とは母親を通じて天皇に繋がる血筋」となる。その場合、「父親でも母親でも天皇に繋がる血筋」のケースはどうなるか?


男系社会のシナであれば、勿論こんな問いは成り立たない。皇帝の一族同士の結婚は、「同姓不婚(同姓はめとらず)」の原則があって、許されないからだ。同姓なら、男系で同一の血統同士の結婚なので、殆ど近親相姦に等しい。


ところが、日本の場合は事情が全く違う。歴史上、皇族同士が結婚したケースは多い。明治の皇室典範は、むしろ皇族同士(又は勅旨により特に認許された華族と)の結婚を、規定していた(第39条)。


シナのような根っからの男系社会ではないからだ。同族でも「女系」で血筋が違えば結婚できる。では、皇族同士の結婚によって生まれたお子様は、男系か女系か。「男系に決まっている」と考える人が多いだろう。

しかし、歴史上の実例に照らして、母親が天皇で父親が皇族だったら? 「天皇か、天皇でないか」の区別と、男女の性別の、どちらを優先するか。当然、「天皇か、天皇でないか」の区別こそが本質的。性別などは二の次だ。


つまり、母親が天皇ならば、父親が皇族でも女系と見るのが、「天皇」という地位を尊重する以上、当たり前の結論でなければならない。現に、前近代の形式上の基本法だった「養老令」(及びそれに先行する大宝令)は、そのような立場だった。従って、「女系とは母親“だけ”を通じて天皇に繋がる血筋」という、男系よりも恣意的に“狭(せば)めた”定義は、そのまま採用できない。


従来、無反省にそうした女系概念を前提に「かつて女系天皇は存在しなかった」と語られて来た。しかし、そうした女系概念と均衡を取る為には、「男系とは父親“だけ”を通じて天皇に繋がる血筋」と定義されねばならない。


この定義なら、歴代天皇のうち、「男系」では“ない”天皇が少なからず存在する事になる。つまり、これまでの女系天皇「不在」論は、予め女系概念を男系より不均衡に狭く定義するという、“トリック”によって支えられて来たのだ。

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