昭和63年8月15日。昭和天皇が最後にお迎えになった終戦記念日。 当時、昭和天皇のお身体は深く癌に侵されていた(但しご本人に告知はしていなかった)。この年の8月は那須の御用邸で静養をされていた。しかし、ご無理をされてヘリコプターで8月13日にご帰京。終戦記念日当日には、進退ご不自由なお身体を押して、日本武道館での全国戦没者追悼式に臨まれた。
この時、侍医長だった高木顕氏の手記には以下のようにある。
「全国戦没者追悼式へのご出席は、本当に心配でした。果たして無事にお務めになられるだろうかという不安があったのです。陛下のお気持ちを忖度(そんたく)したりしてはおそれ多いかもしれませんが、陛下はこの戦没者追悼式はことのほか重要な行事とお考えではなかったかと思います」(『昭和天皇最後の百十一日』)
侍従だった小林忍氏の日記には、万が一の場合に備え、侍従長が一緒に壇上に上がった様子が記されている。
「会場では侍従長が壇上の陛下の後方に席を設け、おことばの際も近くまでお供(とも)し…お身体を万一のときに支えるためにもと陛下の前に卓を置いた」(『昭和天皇 最後の 侍従日記』)
そこまでして、昭和天皇は戦没者の霊を慰め、遺族を労(ねぎら)う為に、気力を振り絞って壇上に立たれたのだった。この時のお姿こそ、国民が拝した最後の昭和天皇のお姿だった。昭和天皇はこの日、次のような御製(ぎょせい)を詠(よ)んでおられる。
やすらけき
世を祈りしも
いまだならず
くやしくもあるか
きざしみゆれど
昭和天皇が即位されてまださほど歳月を経ていない昭和6年の歌会始(うたかいはじめ)。次の御製を詠んでおられた。
ふる雪に
こころきよめて
安らけき
世をこそいのれ
神のひろまへ
昭和天皇のご生涯は「安らけき世」へのひたすらな「祈り」で貫かれていた。しかし、ご生涯で最後の終戦記念日に、深いお嘆きから「くやしくもあるか」と詠まれざるを得なかった事実は、余りにも悲しく、申し訳ない。
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