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  • 執筆者の写真高森明勅

「双系(双方)制」を巡る研究状況

更新日:2021年2月5日


「双系(双方)制」を巡る研究状況

以前、「双系(双方)」という概念自体を知らないで、皇統問題について声高に発言している人物がいて、少し驚いた。皇統問題を巡る議論にこの概念を持ち込んだのは、恐らく私が初めてだろう。 しかし、学界ではかねてよく知られた概念だ。「双系(双方)制」を巡る研究状況については、以下のような整理がある。 「古代史学界では、すでに…高森氏の問題提起の数年前から、成清和弘氏や春名宏昭氏などにより、『養老令』「継嗣令(けいしりょう)」皇兄弟子条の『女帝子亦同(女帝の子も亦〔また〕同じ)』といふ記述に依拠して、律令制下の日本では、当時のシナと異なり、『女帝は男帝となんら変わるところのないものとして日本律令に規定されていた』


『日本の律令制では「女帝」は制度的に位置づけられ、予定されていた』として、女帝の所生子が『親王』(皇位継承候補者)とされる(『女系』継承の容認)と見なし、『双方制』といふ親族組織に大きく規定されるものであつたといふ見解が複数の研究者によつて支持されてきてをり、これが徐々に共通見解となりつつある。この前提には、文化人類学の家族・親族論を援用しつつ、古代日本の双系的(双方的)親族組織論を唱えた吉田孝氏をはじめ、明石一紀・義江明子氏などの研究により、『双方制』は現段階で通説的な位置を占めるに至つてゐたことが背景にある」(神社本庁教学研究所『皇室法に関する研究資料』所載、藤田大誠氏論文)。


なお「(双)系」と「((双)方」の違いは次のように説明されている。


「『系』(lineal)は祖先を基点とする関係(ancestor-oriented)であり、『方』(lateral)は自己を基点とする関係(ego-oriented)である」(吉田孝氏『歴史のなかの天皇』)。


念のため。

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