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  • 執筆者の写真高森明勅

唯一の誠実で正直な「男系限定」論とはどのような“論理”か?


葦津珍彦


皇位継承の「男系限定」を主張する意見の中で、ほとんど唯一、誠実かつ正直な議論と思えるものは、以下のような論だろう(神社新報社政教研究室『天皇・神道・憲法』昭和29年。執筆は葦津珍彦氏)。



「日本皇室の万世一系とは、男系子孫一系の意味であることは論をまたぬ。…然〔しか〕しながら現行憲法は、憲法自身としては皇位継承については、ただ世襲の条件を規定するのみであつて、女系も亦〔また〕世襲と称することを得べく、かやうな根本的変革案も、合憲的に一片の法律の改変手続〔てつづき〕を以て行ひ得ることとなつてゐるのである」(→憲法の「世襲」規定それ自体は男系・女系の両方を含む)



「帝国学士院発行の帝室制度史に掲げられている皇位継承表の中から、庶出〔非嫡出〕の事例を算〔かぞ〕へて見るに、それは少なくとも55代に達する。

然〔しか〕もこの55代と云ふ数の中には、仁孝天皇や明治天皇の如〔ごと〕く、皇后(中宮)の実子仰出〔じっしおおせいだ〕されし〔非嫡出でも形式上は“嫡出”として扱った〕場合を含んではゐないのである。…〔したがって〕女系継承を認めず、しかも庶子継承を認めないと云ふ継承法は無理をまぬかれぬ」(→男系限定は非嫡出・非嫡系の継承によってこそ支えられて来た)



「皇庶子の継承権を全的に否認することは、皇位継承法の根本的変革を意味するものであり、同意しがたい所である」(→男系限定を維持する為には、非嫡出・非嫡系による継承を復活する以外にない)



「この問題と相関連して、占領下に皇族の籍を離れられた元皇族の復籍ということが一応問題として考へられるであらう。この間の事情については、論ずべき問題も少なくないが、その事情の如何〔いかん〕に拘〔かかわ〕らず、一たび皇族の地位を去られし限り、これが皇族への復籍を認めないのは、わが皇室の古くからの法である。


…この法に異例がない訳ではないが、賜姓〔しせい=臣籍降下、皇籍離脱〕の後に皇族に復せられた事例は極めて少ない(植木直一郎“皇室を制度礼典”参照)この不文の法は君臣の分義を厳かに守るために、極めて重要な意義を有するものであつて元皇族の復籍という云ふことは決して望むべきではないと考へる」(→皇室と国民の区別を厳格に守る為に、元皇族〔その子孫でなく〕本人が復籍することさえも、認めるべきではない)



一先ず「男系子孫一系」を“絶対的”価値と仮定すると、これはこれで筋の通った議論だろう(いわゆる旧宮家プランは皇室の尊厳、「聖域」性を守る観点から一蹴されている)。


しかし、ここで男系維持のために不可欠とされている(側室制度を前提とした)「皇庶子の継承権」(非嫡出・非嫡系よる継承可能性)を復活させることは、少なくとも予想し得る将来も含めて、残念ながら実現しがたい。



それが実現不可能なら、論理必然的に「女系継承」を認めない限り、皇位継承法として「無理をまぬかれぬ」というのが、最終の結論になる。

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