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  • 執筆者の写真高森明勅

敬宮殿下ご誕生後の“読書の儀”で「推古天皇紀」記事を読み上げ


愛子様、敬宮殿下ご誕生

平成13年12月1日、天皇・皇后両陛下のご長女、敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下がめでたくお生まれになった。


それから7日目(12月7日)に“ご誕生儀礼”の一環として、皇后陛下が入院されていた宮内庁病院の皇室専用室に隣接したもう1つの専用室で、「読書(とくしょ・どくしょ)・鳴弦(めいげん)の儀」が執り行われた(同日には、沐浴の所作を行う「浴湯〔よくとう〕の儀」と、“愛子”というお名前と“敬宮”というご称号が贈られた「命名の儀」も)。


「読書の儀」というのは、文官用の衣冠単(いかんひとえ)姿の学者(この時の読書役は、歴史学者で元学習院大学学長だった児玉幸多氏)が漢籍か国書の一節を3回繰り返して読み上げ、天皇のお子様のご文運を祈る。


一方、「鳴弦の儀」は武官用の衣冠単姿の旧大名家の当主(この時の鳴弦役は、徳川家18代当主の恒孝〔つねなり〕氏と加賀・前田家18代当主の利祐〔としやす〕氏)が弓の弦を指で弾いて鳴らし、お子様のご健勝を祈る。


ここで注目したいのは「読書の儀」だ。


というのは、この時、読み上げたのは『日本書紀』中の推古天皇の記事(巻第22)だったからだ

(椎谷哲夫氏『敬宮愛子さまご誕生 宮中見聞記』平成14年、明成社)。


改めて言うまでもなく、推古天皇はわが国初の「女性天皇」。

なかなか意味深長ではあるまいか。


読み上げた部分は以下の2箇所(ここでは現代語訳を掲げるが、当日読み上げられたのはもちろん原文。原文は日本古典文学大系・新編日本古典文学全集など参照)。


「推古天皇は欽明天皇の第2皇女で、用明天皇の同母妹である。幼少の頃は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)と申し上げた。容姿は端麗で、その振る舞いも規範にかなっておられた」


「(推古天皇)20年正月7日、天皇は朝廷の高官らに酒を振る舞って、宴会を催された。この日に、大臣の蘇我馬子は酒杯を献じ、歌を詠んで(次のように)申し上げた。『天下の隅々までお治めになるわが大君(おおきみ=推古天皇)がお入りになる立派な宮殿、又お出ましになる御空(みそら)を仰げば、まことに広大無辺で(天皇のご威光の高さが思われて)、千代(ちよ)も万代(よろずよ)もこのように立派であってほしいものです。私どもは畏(かしこ)み崇(あが)めてお仕え申し上げましょう』と」


読み上げた部分も、その選び方にある種の意図を感じさせる。

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