• 高森明勅

元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実


元皇族(旧皇族)には旧宮家系子孫は含まれないという事実

「元皇族(旧皇族)」という言葉について、意外と誤解があるようだ。

昭和22年に皇籍を離脱された、いわゆる旧宮家系の方々“だけ”と錯覚しているのを、時折、見掛ける。

それも、その子供や孫の世代まで含んでいると、思い違いをしていたり。

全く間違いだ。


先ず、旧宮家の皇籍離脱“後”に、国民として生まれた人々は、かつて一瞬も皇族だったことがないのだから、“元”皇族(旧皇族)のはずがない。

当たり前だ。

従って、旧宮家系の元皇族は当然、皆様70歳代以上になっておられる(ところが近頃も、書籍の帯に若そうな著者の顔写真と共に「旧皇族の憲法学者」!?と印刷しているのを見かけた。

これは無知というより、商売優先の“確信犯”的な事例か)。


《明治以降に皇籍離脱された方々》


又、明治以降に限定しても、皇籍を離脱された親王・王が14方いらっしゃる。

明治21年6月28日に臣籍降下された清棲家教伯爵(伏見宮邦家親王第15男)が早い例で、龍田徳彦伯爵(久邇宮多嘉王第3男、後に養子縁組により梨本姓)が昭和18年6月7日に降下されたのが、最も降ったケースだ。


この方々ご本人は、もとより「元皇族」。

その子孫の男性も「(皇族ではない)皇統に属する男系の男子」に該当する。

今回、有識者会議のヒアリングに招かれた聴取対象者が提出した説明資料を見ると、「(皇族でない)皇統に属する男系の男子」を「(いわゆる)旧宮家の男系男子孫」“だけ”と短絡しているケースがあった(八木秀次氏ほか)。

初歩的な無知と言うべきだ。


《女性の元皇族方は?》


更に、女王方が29方、旧皇室典範の下で、華族の家に降嫁しておられる。

明治23年12月24日に、久邇宮朝彦親王の第3女・安喜子女王が池田詮政侯爵に嫁がれたのが最初の例。

昭和20年4月22日に、久邇宮朝融王の第1女・正子女王が龍田徳彦伯爵(元皇族)に嫁がれた。

それが旧典範下での最後となった。

これらの方々も勿論、「元皇族」だ。

それに加えて、戦後、ご結婚によって皇籍を離れられた方々が、これまでに8方おられる。


昭和25年5月20日に、昭和天皇の第3女・和子内親王(上皇陛下の姉宮)が鷹司平通氏(鷹司家はいわゆる“皇別摂家”の家柄=皇族ではない皇統に属する男系子孫)と結婚されたのをはじめ、最近の例では、平成30年10月29日に、高円宮家の第3女・絢子女王が守谷慧氏と結婚しておられる。

今の皇室典範のルールが維持されると、今後も同様の形で内親王・女王の方々が、次々に民間にお入りになることになろう。

もしそうなれば、それらの方々も「元皇族」ということになる。


《元皇族の実像とは?》


宮内庁の記録に「元皇族」と記されているのは(『昭和天皇実録』なども同様)、時期によって具体的な構成メンバーはもとより異なるが、上記の“元皇籍にあられた”方々(だけ!)を指す。


元皇族方が皇室と親密なご関係にあるというのは、こうした実態を考慮すれば、至って当たり前のことだ。

にも拘らず、そのような元皇族の方々と皇室との交流の事実を、あたかも旧宮家系“子孫”のことであるかのように説明している例を、見掛ける。


その上で、旧宮家系子孫は今も皇室との繋がりが深いので(!?)、皇籍取得も「現実的」という印象操作が行われたりする。

しかし、「元皇族」には旧宮家系の(生まれて一度も皇族の身分だったことがない)子孫は一切、

“含まれない”ので、勘違いしてはならない。


今更、こんな分かり切った説明をするには及ばないと思うものの、間違った認識がいつまでも訂正されないで罷り通っている気配があるので、念の為に。


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