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執筆者の写真高森明勅

天皇制は必要なのか?

更新日:2021年1月23日


天皇制は必要なのか?

随分、先の話のような気もするが、来年3月14日(これは私の誕生日!)に奈良県で開催予定のゴー宣道場のテーマは、「天皇制は必要か?」だとか。


なかなか刺激的なテーマ設定だ。小林よしのり氏らしいアイデアと言うべきか。小林・泉美木蘭・倉持麟太郎諸氏が否定派、笹幸恵・高森両名が肯定派に分かれて、ディベートを展開する計画という。率直に言って、私はディベートなるものが余り好きではない。勿論、それが知的トレーニングとして有効性が無いとは思わない。


しかし、自分が本気で信じていない命題を、相手を言い負かす為に、屁理屈を捏(こ)ねても徹底的に主張し抜く、というゲームは、私には少し肌が合わない。


言葉が本来、持つべき誠実さや尊厳を裏切るようで、一般的に言って、とても前向きにはなれない。相手の言い分にも謙虚に耳を傾けつつ、己れの思想的全重量をかけて、真摯かつ真剣に言葉を交わらせる、真の意味での議論こそ望ましい。


しかし、この度の場合はいささか異なる。むしろ願ってもない企画かも知れない。と言うのは、皇位の安定継承を巡る議論についても、皇統の維持、皇室の存続そのものに直結する、文字通り最重要課題(諸々の重要課題の中の1つではなく、重要課題中の最重要課題、唯一至上の最重要課題)であるにも拘わらず、皇室を敬愛する(はずの)人々の姿勢にもう1つ迫力を欠くのは、何故か。

日本及び日本人にとって、天皇・皇室の存在は本当に必要なのか、という根本的な問いを迂回して、その存在を漫然と自明視している為に、その切実な存在意義を“身に沁みて”感じ取れていないから、かも知れない。


私以上の世代なら、逆に天皇・皇室は無用であり、むしろ有害でさえある、という見方が、少なくとも知的な階層の人々の間では、ほとんど自明視されていたのを覚えているはずだ。


私自身の個人的な体験としても、倉敷にいた頃、書店に並んでいる本はほとんど“反天皇”一色であり、少なくともこのテーマに限定して言えば、私は(家族を除き)周囲から(教師も含めて)ほぼ完全に孤立していた。


そんな中で、否応なしに天皇・皇室の必要性を繰り返し自問自答せざるを得なかった。

ところが、今は状況が全く異なる。


天皇・皇室への公然たる否定どころか、控え目な疑問の提示すら、逆にタブー視されかねない雰囲気もある(これは、天皇擁護論の理論的な勝利によるのではなく、昭和天皇をはじめ皇室ご自身の、長年にわたる弛〔たゆ〕まぬご献身による部分が、圧倒的に大きいのだが)。


それがかえって、天皇・皇室についての根源的な考察(更に、その存在意義の再発見、腑〔ふ〕に落ちた納得)を、結果的に阻んでいる気配がある。そのような条件下では、意図的にディベートの形式を利用してでも、考え方を鍛え、深める必要があるだろう。


そういう意味で、奈良県の道場で新しい挑戦に取り組むのは有意義だと思う。小林よしのり氏と高森が天皇・皇室の存在意義を巡って、ディベート的な形ではあれ、真っ向から議論を闘わせるというのは、手前味噌ながら、少し面白い趣向かも知れない。


しかも、理論面では小林・高森を凌駕する可能性がある、倉持麟太郎氏もアンチの側に立つというのが、見所になりそうだ。更に泉美“探偵事務所”と恐れられる調査能力と、一流の庶民的感覚を兼ね備える泉美木蘭氏こそ、隠れたラスボス女王的な存在かも。ところで、当日、私は参加できるだろうか。


勿論、今から優先的にスケジュールに組み込むにしても、まだ不確定要素が残っている。

万が一、私が参加できない場合、笹幸恵氏に奮闘して戴くことになろう。天皇をテーマにした道場で私が不在というのも、予定調和を壊す意味では、かえって面白い展開が期待できるのではないだろうか。もとより私自身としては、今後二度と無さそうな企画なので、是非とも参加したいと考えている。


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