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  • 執筆者の写真高森明勅

国民の「明治節」

更新日:2021年1月23日


国民の「明治節」

11月3日は明治天皇のお誕生日。明治時代には「天長節(てんちょうせつ)」と呼ばれる祝日だった(“節”は漢字文化圏では今も祝日の名称に使われている)。


時代が大正に替わると、当然、天長節は大正天皇のお誕生日だった8月31日に移る(但し、同日は暑中という理由で、異例ながら天長節とは又別に、10月31日が「天長節祝日」とされた)。


これにより、11月3日は一旦、平日になった。しかし、明治天皇が崩御(ほうぎょ)された直後から、この日を「明治節」という名称の記念日として“保存”すべし、という声が挙がっていた。


それを運動として盛り上げたのが、日蓮主義を唱える宗教団体・国柱会(こくちゅうかい)を創立した田中智学。同会は、「銀河鉄道の夜」などを書いた宮沢賢治が熱心な信者だったことで、知られている。


広範な国民の願いが叶(かな)って、昭和2年に「明治節」という名前の祝日として復活した。明治天皇が崩御されてから15年ほど経っていた。ところが、先の大戦が敗北に終わり、占領下に祝祭日の変更を強要された時、新しく制定された祝日法(国民の祝日に関する法律)では、「文化の日」という名称で、その趣旨も明治天皇とは直接には繋がらない祝日に変更されてしまった。


その為に、現在では、この日が明治天皇のお誕生日である事実それ自体を、知らない人も少なくないのではないか。ニュースで取り上げられるので、天皇陛下が立派な業績がある人達に皇居で文化勲章を親しく授けられる日、くらいのイメージかも知れない。この日を、祝日として復活させた当時の国民の気持ちまで、忘れ去られているのは残念だ。


ちなみに、昭和天皇のお誕生日だった4月29日は、平成になって暫(しばら)く「みどりの日」と呼ばれていた(現在は5月4日に移動)。これを「昭和の日」に改める運動を提唱されたのは、田中智学の流れを汲む人々だった。私も及ばずながら、僅かばかりお手伝いをさせて戴いた。


結局、祝日法が改正されたのが平成17年。実際に施行されたのは同19年からだった。明治節の制定よりは、もう少し長い歳月を必要とした。

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