

天皇・皇室・皇位継承問題など
高森明勅 公式ブログ
今 昔 モノ 語り
天皇・皇室・皇位継承問題、から政治、日々の出来事まで定期的に更新してまいります。




高森明勅
- 2018年4月27日
- 2 分
平和を願い続けられた昭和天皇
4月29日は「昭和の日」。昭和天皇のお誕生日だった。
その日を控え、昭和天皇の「戦争と平和」を巡るお言葉などをいくつか、改めて紹介しておく。 「(海軍の青年将校らによる5・15事件で当時の犬養毅首相が暗殺され、その後継者の条件について)ファッショに近き者は絶対不可なり」(昭和7年5月19日) 「日本が(国際)連盟を脱退することはすこぶる遺憾である」(同8年3月8日) 「総理になった東条(英機)は…(戦争を回避すべく)連日(大本営政府)連絡会議を開いて1週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油(アメリカによる日本への石油輸出禁止)であった。…実に石油の輸入禁止は日本を窮地に追(おい)込んだものである。 かくなった以上は万一の僥(ぎょう)コウに期しても、戦った方が良いという考(かんがえ)が決定的になったのは自然の勢(いきおい)と云わねばならぬ、若(も)しあの時、私が主戦論を抑えたらば、陸海に多年錬磨の精鋭なる軍を持ち乍(なが)ら、ムザムザ米国に
屈伏すると云ふので、国内の与論は必ず沸騰し、クーデタが起(おこ)ったであらう」
(『昭和天皇独白録』)(マ
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高森明勅
- 2018年4月21日
- 2 分
昭和天皇記念館
4月21日、小学校の先生方と立川市の国営昭和記念公園内の昭和天皇記念館へ。 花みどり文化センターの一角のこじんまりとしたスペース。
しかし、貴重な展示物の数々。 昭和天皇が実際に、宮殿でのご執務に使っておられた机と椅子の実物が展示されていて、その意外な質素さに、驚く人もいた。
ご訪米の時にプレゼントされ、愛用されていたディズニーの腕時計も珍しいご遺品だ。
昭和天皇の87年のご生涯を短くまとめた映像は、涙を浮かべながら拝見していた昭和生まれの先生方がいた。
若い先生方からは 「動いておられる昭和天皇を初めて拝見しました」
「昭和天皇が喋っておられるお声を初めて聴きました」 などとの感想も。 些かビックリ。 2時間ほど掛けて、私が説明しながら館内を回った。 占領下に昭和天皇は、敗戦後の打ち拉(ひし)がれた日本各地の国民を慰め、励ます為に、全国巡幸をなさった(昭和21年から29年まで、総行程33,000キロメートル)。 それを早急に準備するよう、当時の宮内府の次長だった加藤進氏に指示された時のお言葉も、皆さんに紹介した。 「この戦争によって祖先
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高森明勅
- 2018年4月18日
- 1 分
能力と倫理
元外務官僚の佐藤優氏が面白い指摘をしている
(産経新聞4月15日付)。 「霞が関(官界)には4つのタイプの官僚がいる。 第1は、能力も倫理観も高い官僚だ。 第2は、能力は高いが倫理観が低い官僚だ。 第3は、能力は低いが倫理観が高い官僚だ。 第4は、能力も倫理観も低い官僚だ。 これに対して、永田町(政界)には4つのタイプの政治家がいる。 第1は、能力がありやる気もある政治家だ。 第2は、能力はないがやる気だけはある政治家だ。 第3は、能力はあるがやる気のない政治家だ。 第4は、能力もやる気もない政治家だ。 この中で、『能力はないがやる気だけはある政治家
(あるいはその配偶者)』と『能力は高いが倫理観が低い官僚』
が結びつくと、国家にとっても国民にとっても不幸なことになる」 と。
セクハラ騒ぎを起こした財務次官が官僚としてどのタイプか。
それは知らない。 しかし、「能力はないがやる気だけはある政治家
(あるいはその配偶者)」とは誰か。 一般論のようで、なかなか強烈な当てこすりのように読める。
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高森明勅
- 2018年4月15日
- 2 分
護憲派は「非立憲」
立憲主義という言葉が随分いい加減に使われている。 あたかも「護憲」の言い換えであるかのように。 だが、いわゆる護憲派こそ、
最も立憲主義を軽んじているのではないか。
一般に護憲派は自衛隊を「違憲」と見ている場合が多い。 ならば、立憲主義の立場からは、
自衛隊「解体」を公然と求めるのが筋だ。
しかし、自衛隊解体論を声高に訴える人々はごく少数。 しかも、その訴えは殆ど説得力を持たない。 又、合憲論に立つ場合、
「戦力」未満の自衛隊を追認することになる。 だが、「戦力」未満の自衛隊では、
個別的自衛権すら満足に行使できない。
個別的自衛権を行使できなければ、他国の侵略を防げない。
他国に侵略されれば主権を維持できない。
主権を維持できなければ、憲法の効力は喪われる。
個別的自衛権を行使できないまま侵略を防ごうとすれば、
強力な軍事力を持つ他国に依存するしかない。
そのように他国に依存すれば、
その国に従属する結果になる。
そうして他国に従属すれば、主権は制約を免れない。
主権自体が制約されたら、憲法の効力も限定的になる。
従って護憲
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高森明勅
- 2018年4月14日
- 2 分
高村正彦氏の「立憲主義」
憲法改正を巡って、政府・与党サイドの最強の理論家は
恐らく高村正彦氏だろう。
衆院議員を引退した今も、
自民党副総裁で同党憲法改正推進本部特別顧問。
彼がインタビューに答えている(『中央公論』5月号)。
インタビュアーは若手の憲法学者で九州大学准教授、
6月の九州ゴー宣道場のゲストでもある井上武史氏。
このインタビューから分かるのは、
高村氏の本音が自衛隊「違憲」論らしい事。 「どうしても文言と実体にはカイ離がありますよね。
もし、憲法の文言と自分たちがいいと思っている『自衛隊合憲』
にカイ離があったら、それをなくそうとするのが、『立憲主義』じゃないでしょうか」 「真の立憲主義者なら、我々が自衛隊は合憲なのだから
それに合わせて憲法の条文を変えよう、と言っているのに
反対するはずありません」 これらの発言は、以下の考え方がベースになっているはず。 自衛隊は「憲法の文言」に照らして“法的には違憲”。 だけど、わが国を取り巻く国際環境などの現実を見れば、 どうしても“政治的には合憲”にしなくてはならない、と。 普通、「自衛隊は合憲」なら、わざ
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高森明勅
- 2018年4月10日
- 1 分
特別な「5月3日」
5月3日は「憲法記念日」。 国民の祝日の1つ。 祝日法には「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」
祝日と定める。
毎年この日には、護憲派・改憲派それぞれの集会が開かれて来た。
しかし、今年は例年とは趣(おもむき)が異なる。
去年のこの日に、安倍首相が自衛隊「加憲」案を提起し、
憲法改正がこれまでになく、リアルに政治日程に上って初めての
憲法記念日だ。 更に、従来型の護憲vs改憲の硬直した対立の構図を踏み越えて、
リベラルな普遍的価値とナショナルな固有の価値の双方を追求し、
「分断的」でなく「統合的」な憲法論議を呼び掛ける、
「立憲的改憲」を掲げた“第3”の集会が、この祝日の光景を一変させる。 護憲派も改憲派も、
今まで憲法に強い関心を持たなかった人たちも、
わが国の「自主独立」、更に「平和と民主主義」の為に、 平成の自由民権運動に結集せよ。
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高森明勅
- 2018年4月7日
- 4 分
帝国憲法への評価
帝国憲法について、これまでややもすると
公平な評価がなされない傾向が強かった。
そうした中で、以下のような言及には注目すべきではあるまいか。
「昭和に入って、1930年代になると国際政治の上に、
はげしい激流情況が現れた。
独裁主義の諸国がおそるべき威力をもって、台頭してきた」 「この国際政局の大きな波濤が日本にも及んできたのは当然だった。
日本の軍部や官僚が、この時代にドイツの右翼独裁主義の強大な
影響力のもとに入り、近代憲法の原則を少なからず傷つけた歴史は、
否定することができない」 「左翼独裁主義も右翼独裁主義も、近代憲法の共通の原則
ともいうべき自由の人権を、まったく無視するというより
自由の思想を敵視した」 「日本でもこの時代に、近代憲法国には、ふさわしからぬ
強圧政治の現れたことは事実である。
けれども、それは決してドイツやソ連のような猛烈な
程度にまで行くことはなかった。
東条政権の強圧政治が、はげしいものだったとはいっても、
ヒットラーやスターリンのそれに比すれば、まったく ものの数ではなかった。
政治的犠牲者の数は、万分の一
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高森明勅
- 2018年4月4日
- 2 分
「陛下の思いを考慮することはありえない」?
産経新聞(3月31日付)にこんな記事が載っていた。 「(天皇)陛下の譲位に関する儀式は、4月30日の
『退位礼正殿の儀』のみとなる。陛下がパレードや饗宴(きょうえん)
に消極的とされることから、陛下のご意向に応えた部分があることは否めない。 ただ、内閣官房皇室典範改正準備室側はあくまで
『陛下の思いを考慮することはありえない』と断言する。
憲法4条が『天皇は国政に関する権能を有しない』
と定めているからだ。 …この姿勢は、式典のあり方の検討段階でも徹底的に貫かれており、
今後も続く」と。 政府は“陛下のご意向は「徹底的に」無視する!”と公言しているのだ。 何ともフザケた話ではないか。
陛下への敬意も感謝も、爪の先ほどもない。 しかも、憲法4条の不当な拡大解釈も甚だしい。 「国政に関する権能を有しない」というのは普通、
以下のように理解されている。 「国政に関する権能とは、国の政治を決定し、またはそれに
影響を与えうる行為を行う権能を指し、そのような権能を有しない
とは、天皇がおよそ政治の領域に介入してはならないことを意味する」
(伊藤正己氏ほ
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高森明勅
- 2018年4月3日
- 1 分
「今上天皇」という語
『石原信雄回顧談』(全3巻、ぎょうせい)が刊行された。
竹下内閣から村山内閣まで7代の内閣で一貫して(事務方の)官房副長官を務めた石原氏は、現代史の稀有な生き証人。 その「回顧談」はとても貴重だ。 私も早速、入手した。 ところが、目次を眺めていると第3巻の第4章の見出しに「平成天皇」という語がある。 インタビュアー(上崎正則時事通信社総務局長)もこの語を使っている(82頁)これは、天皇陛下が崩御(ほうぎょ)された“後”に「追号」として奉られるはずの呼び名だ。 ちなみに「昭和天皇」との追号が奉られたのは平成元年1月31日だった。
国民に当て嵌めれば、死後に付けられる“戒名(かいみょう)”のような性格のもの。 それを今の時点で、こともあろうに公刊物で使うなど、甚だ非礼で不見識(ご譲位後でも不可)。意義ある出版物での誤りだけに残念だ。
以前も、ある刊行物で同じ間違いを見掛けた。
気が付いた時は必ず出版社に連絡して、担当の編集者に直接、穏やかに伝えている。 今の天皇陛下は、普通なら記事の中でただ「天皇陛下」とお呼びすれば良い。 文脈上、特に歴代天
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高森明勅
- 2018年4月1日
- 2 分
高御座(たかみくら)は国民主権に反する?
皇太子殿下のご即位に伴う即位の礼(即位礼正殿の儀)が、
来年の10月22日に行われることになった。 この時、新しい天皇は高御座(たかみくら)に昇られて、
ご即位の旨を天下に宣明される。 この高御座は、平安時代以来の諸史料、
特に江戸時代の絵図類を参考にして、大正の初めに
復原・新造された。 歴史上、即位に当たって天皇が高御座に昇られたことを
明確に確認できるのは、平安時代から(貞観『儀式』、
『淳和天皇御即位記』など)。
更に、5世紀の雄略天皇の即位に際して「壇(たかみくら)」
が設けられたのが、史料上のタカミクラの初見だ。 高御座の「源流」は古墳時代にまで遡ると見てよいだろう。 現在、高御座は普段、京都御所に置かれている。 即位の礼挙行に当たり、わざわざ東京まで運ばれることになる。 ところが即位の礼で、天皇が高御座に昇られると、
首相が天皇を“仰ぎ見る”形になるのを問題視する声があるようだ
(朝日新聞3月31日付)。 憲法に定める「国民主権」に反するとか。
共産党は前例踏襲でなく
「国民主権…にかなった新しいやり方を作り出すべきだ」
(笠井
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