高森明勅
2018年7月8日2 分
最終更新: 2021年3月28日
天皇と皇族方は、憲法が国民に保障する自由と権利を、全面的又は大幅に制約されている。
この事実をどう考えるべきか。
憲法学の標準的な教科書の記述はこうだ。
「二通りの考え方がありうる。第1は、天皇、皇族に人権享有主体性(人権を保障される資格)を認めつつ…ただし憲法が世襲制に基づく象徴天皇制を認めていることに鑑(かんが)み、それに由来するやむをえない制約は、憲法上許容される、と考える。
第2の方向性は、天皇、皇族には人権が妥当しないと考える。
そもそも人権は、身分的階層制を否定して、人を…“人一般”の立場に立たせたとき、はじめて認められる。ところが世襲に基づく象徴天皇制は、この原則に対して憲法自身が認めた例外領域である、ととらえるのである」(宍戸常寿氏ほか『憲法学読本〔第2版〕』。安西文雄氏執筆)
私の考え方はもっと単純だ。
憲法が保障しているのは、あくまでも国民(!)の自由と権利だ。“憲法上の権利”を規定する第3章の標題は「“国民”の権利及び義務」。
条文でも以下のようになっている。
ところが、天皇と皇族は憲法上、国民ではない。従って、憲法が“国民に”保障する自由と権利を、“直ちに”享有し得るお立場には元々ないのだ。
しかし勿論、だからと言って、天皇と皇族の自由や権利について、何ら配慮しなくて良いということでは全くない(一部にそう勘違いしている者らもいるようだが)。
そうではなくて、天皇と皇族の自由や権利の望ましい在り方を探究する場合、(国民とは区別された!)天皇と皇族の「特別のお立場」を前提とすべきだと考えている。