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平成時代の皇女、紀宮殿下のご成年「祝宴」は宮殿で開催

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 9月17日
  • 読了時間: 2分
平成時代の皇女、紀宮殿下のご成年「祝宴」は宮殿で開催


私は先頃、敬宮殿下の成年行事に伴う祝宴が、もしコロナ禍によって取り止めになっていなければ、天皇皇后両陛下のご長女なので当然、“宮殿”で行われたはずだ、という指摘をした(8月1日公開のブログ)。


秋篠宮家のご長男、悠仁親王殿下の祝宴が、公的な昼食会も“民間の施設”で行われるとの報道に接し、それとの対比で述べたものだ。


しかし敬宮殿下の祝宴は、実際にはコロナ禍の為に中止された。

なので、「それは高森の勝手な想像」と受け取った人もいたらしい。

敬宮殿下は“女性”だから、天皇陛下など“男性”の前例はそのまま当てはまらないのではないか、と。


しかし、上皇上皇后両陛下(当時は天皇、皇后)のご長女で、天皇陛下と秋篠宮殿下の妹に当たられる黒田清子様(ご結婚前は紀宮清子内親王)の成年行事の祝宴を振り返ると、やはり宮殿で行われていた(平成2年3月12日)。


午餐、晩餐どちらも「連翠」が使われた。秋篠宮殿下の時と全く同じだ(天皇陛下の時は午餐が豊明殿、晩餐が連翠)。


従って敬宮殿下の場合も、コロナ禍さえなければ、同じように宮殿で祝宴が行われていたと考えるのが、当たり前だろう。


それが行われていれば、今回のケースと比較して、「直系」の敬宮殿下と「傍系」の悠仁殿下の

お立場の違いが、多くの人々にも、もっと分かりやすかったかも知れない。


ちなみに、黒田清子様はご成年に当たっての記者会見で、次のように述べておられた。


「皇室の在り方や役割につきましては、私はまだ十分には分かっておりませんけれども、両陛下(上皇上皇后両陛下)のご日常や 地方のご旅行にお供した折のご様子を拝見しておりますと、以前、元東宮大夫が記した記事の中で、皇后様(上皇后陛下)がおっしゃっておいででした『皇室は祈りでありたい』という言葉をよく思い出します。…行動を起こすということは、目に見えやすいことかも知れませんが、ある大切なことに対して、いつも、そして長く心を寄せ続けるということを私は皇室の姿として心に描いております」(平成2年4月16日)


なお、紀宮殿下(当時)がご成年を迎えられた平成元年は、昭和天皇が崩御されて諒闇中だったことから、関連行事は翌年に延期された。


しかし延期されても、ご成年を迎えられた“ご年齢のうちに”、成年行事が行われた。


悠仁殿下の場合、敢えてそのご年齢のうちに“行われなかった”のとは、はっきりと異なる(この点はプレジデントオンライン「高森明勅の皇室ウォッチ」9月10日公開を参照)。



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