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  • 執筆者の写真高森明勅

「論理」は無力ではない




筋道を立てた意見や見解という意味での広義の「論理」。

それは万能ではないし、無敵でもない。しかし、現実を動かす上で、決して「無力」ではない。


イメージや雰囲気作り等も勿論、大切だ。一方、障害を突破し、最後の詰めに導く為には、精密に構築された「論理」が大きな役割を果たす。それが、私自身のこれまでの経験も踏まえた実感だ。その場合、「論理」が現実に影響を及ぼし得る為に、最低限必要な“要件”とは何か。私なりに大まかに整理すれば、およそ以下のような諸要件だろう。


①ツジツマが合っている。論理的整合性が担保されている。

→これは当然の前提。


②事実に基づいている。嘘や隠し事が無い。

→これも当たり前。

しかし、故意の嘘や隠し事や論外だが、慎重かつ丁寧な事実確認を怠らないように要注意(自戒も込めて)。


③広く受け入れられるルールや価値観を踏まえている。特殊な信念や思い込み、独断・偏見をなるべく排する。

→これが意外と難しい。自分で気付かないうちに、スルリと思い込みや独断が忍び込む。


④共感を呼ぶことができる。魅力的である。その為には理性・理屈一辺倒ではなく、人間としての心情や情念も、しっかり織り込まれている必要がある。

→難しいが取り分け重要。


⑤平易・明快である。

→当然の要件ながら、自己の見解を客観視して整理・吟味し、考えをしっかり深めてこそ、到達できる。そのプロセスを経ない平易さは、単なる浅薄な思い付きにとどまる。逆に、一定の理解力があるか人から見ても、難解そうでストンと腑に落ちない言い分は、未整理でよく考え抜かれていないか、誤魔化しを含む(又はその両方の)場合が多い。


いつ頃からか、「論破する」ということが過大に評価されるようになった気がする。

勿論、それが求められる場面もあるだろう。しかし、現実を“前に”動かすのは、魅力を備え、

人々に希望を与える「論理の力」ではあるまいか。



追記


5月3日、ゴー宣道場を久しぶりに大阪で開催。

熱気溢れる会になった。ゲストの宇野常寛氏の話術が抜群。

小林よしのり氏の熱弁で危機の深刻さが共有されたのではないか。倉持麟太郎氏は親切なレジュメを用意して、最新の知見をもとに、憲法に「緊急事態条項」が何故必要か、分かりやすく説得力のある解説をしてくれた。


当日、ボランティアで設営に当たって下さった皆さんに、感謝。

懇親会、二次会も楽しかった。

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