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  • 執筆者の写真高森明勅

日本国憲法の正当性を説明する「8月革命説」を批判する学説


日本国憲法の正当性を説明する「8月革命説」を批判する学説

日本国憲法の正当性を説明する「8月革命説」を批判する学説


日本国憲法の正当性を説明してきた「8月革命説」。長く通説の地位にあった。


しかし、さすがに批判に晒されるようになっている。批判説を一、二紹介しておこう。


「多数説とされる8月革命説については…(ポツダム宣言などに「日本国国民の自由に表明せる意思に従い」とあるのは「むしろ占領軍が干渉しないでという意味であって、国民主権の要求ではないとする解釈が成り立ちうる」)ほか、以下のような問題も解決されないままであり、採用することはできないと考えられる。


すなわち、(ⅰ)占領管理下の憲法制定・改正は占領権力の所産であり、国家主権の存しない状況下の『国民主権』論は虚妄ではないか(長谷川正宏『昭和憲法史』参照)、(ⅱ)その立論はラジカルな国際法優位一元論を前提とする点において不当ではないか(菅野喜八郎『続・国権の限界問題』参照)、(ⅲ)非民主的機関の関与ー枢密院や貴族院の関与ーとそれによる修正の位置づけが不明ではないか(高橋正俊「憲法の制定とその運用」佐藤幸治ほか編『憲法50年の展望Ⅰ』参照)など、8月革命説の妥当性には多くの疑問が提示されているのである」(大石眞『憲法講義Ⅰ〔第2版〕』平成16年)。


「この説〔8月革命説〕には、次のような疑問がある。


①ポツダム宣言が国民主権の要求を含むものであったかどうかは当時にあっては疑問の余地のあるものであったこと(…日本政府はそのようには解さなかった)、②仮に同宣言がかかる要求を含むものであったとしても、同宣言の受諾は国際法上の義務を負ったことを意味するにとどまり、受諾と“同時に”国内法上も根本的変革を生じたとみることは困難であること、③同宣言受諾後も、占領軍の支配下ではあったが、明治憲法の定めるところに従い、統治が行われたことを説明するのが難しいこと、④明治憲法73条〔改正条項〕が用いられたことの根拠が薄弱になること等々」(佐藤幸治氏『日本国憲法論』同23年)


このように、「8月革命説」は既に過去の学説として葬り去られようとしている。

そうすると、日本国憲法の正当性、有効性が改めて問われることになる。

少なくとも、教科書に書かれ、学校で教えられている、日本国憲法を「民定憲法」と見る根拠は、学問上、同説の崩壊と共に“失われた”と言えるのではあるまいか。

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