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執筆者の写真高森明勅

生命至上主義への挑戦

更新日:2021年3月25日


生命至上主義への挑戦

生命至上主義への挑戦


来月、若い世代の諸君と「『鬼滅の刃』を語る会」を開催する。会では、私が一方的に講義をするのではなく、むしろ参加者の感想や意見を、沢山聴かせて貰いたい。そう考えて、私自身が提案した企画だ。


少なくとも私にとって、この漫画は(テレビアニメや映画も含めて)「語り合う」に値する作品だ。何より、薄っぺらな“生命至上主義”への強烈なアンチテーゼが示されているのが印象的だ。この作品は、一言で言ってしまえば、鬼狩り(産屋敷〔うぶやしき〕家当主に率いられた鬼殺隊)が、人々の平和な生活の為に、鬼(鬼舞辻無惨〔きぶつじ・むざん〕とその手下達)を狩るだけの話だ。


しかし、狩る側が何故、鬼狩りになったか、鬼も元は人間だったのに何故、鬼になってしまったのか、その事情・背景こそ、物語の大切な要素になっている(そこには、「家族」というテーマが深く刻印されているのだが、ここでは立ち入らない)。


鬼は強く、疲れず、傷ついてもたちまち回復する。そして永遠に生きることが出来る。一方、人間はどれだけ鍛練を重ねても、弱く、疲れ易(やす)く、傷つけば容易(たやす)くは回復せず、簡単に死んでしまう。又、年月と共に老いて衰える。その宿命は、どれだけ強い剣士であっても、免れられない。物語で鬼は、剣士に繰り返し「永遠の生命が欲しくないのか」と誘う。又「ここで戦えば死んでしまうぞ」と脅す。


永遠の生命よりも更に価値があるもの、自分の命を犠牲にしてでも守るべき価値とは何か。

それが、作品の中で何度でも、問い返される。命を捧げても悔いない使命、目的、価値があってこそ、生命は真に尊厳であり得、輝くことが出来るという逆説が、ストーリー全体によって見事に表現されている。


三島由紀夫の檄文に「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」という一節があった。それと、遠く響き合うものを感じる。当日、どんな会になるか、今から楽しみだ。

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