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  • 執筆者の写真高森明勅

現憲法下の「不敬罪」


現憲法下の「不敬罪」

皇室の尊厳を守る法的な仕組みとして、刑法には元々、天皇・皇族などへの「不敬ノ行為」を処罰する不敬罪などが規定されていた(73~76条)。しかし、被占領下にGHQの指示によって廃止された(昭和22年10月26日)。


その不敬罪が最後に適用されたのが、いわゆる「プラカード事件」(同21年5月19日)だった。プラカード事件とは、同日の「食糧メーデー」デモに参加した松島松太郎(当時、日本共産党「田中精機細胞」リーダー、後に同党中央委員)が、プラカードに「詔書 国体はゴジされたぞ 朕(ちん)はタラフク 食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」と書いて掲げ、刑法74条の不敬罪に問われた事件。


同22年6月28日に下された東京高裁の判決は、条件付きながら、新しい憲法の下でも不敬罪は存続している、との判断を下した。該当部分は以下の通り。「新憲法の下に於(おい)ても天皇は仍(な)お一定範囲の国事に関する行為を行い、特に国の元首として外交上特殊の

地位を有せられるのみならず、依然(いぜん)栄典を授与し、国政に関係なき儀式を行う等国家の一員としても一般人民とは全く異なった特別の地位と職能とが正当に保持せられてこそ始めて日本国がその正常な存立と発展とを保障せられることを表明したものと認むべきである。


…かかる条件の下にあっては、天皇個人にたいする誹毀誹謗(ひきひぼう)の所為は依然として日本国ならびに日本国民統合の象徴にひびを入らせる結果となるもので、従ってこの種の行為にたいして刑法不敬罪の規定が所謂(いわゆる)名誉毀損の特別罪としてなお

存続している」と。


判決文は、「被告人の行為は刑法第74条第1項に該当する」と明言した上で、但し「不敬罪にたいしては昭和21年11月3日〔現憲法の公布当日―引用者〕…大赦(たいしゃ=国家が特定の罪について、自ら刑罰権やその効果を消滅させること)があったので…免訴(めんそ=仮に有罪でも罰すべきでないとする)」とした。


被告人は「無罪」判決を求めて最高裁に上告したものの、「免訴」を確認しただけで、無罪とはされず、原判決が維持された(同23年5月6日)。


上記高裁判決が、現憲法が「不敬罪」を全面的に排除しているのでは“ない”、という法理に立脚しているのは、興味深い。なお、プラカードには「朕はタラフク食ってるぞ」「ナンジ人民飢えて死ね」と書かれていたが、改めて言うまでもなく、事実は全く異なる。


先ず前者について。敗戦後間もなくの頃、昭和天皇は、大金益次郎(おおがね・ますじろう)侍従長に自分の食事を「国民と同じ配給量にしてくれ」とおっしゃっていた。

又、アメリカのメリケン粉を使った白いパンが食事に出されていたのに対し、「わたしのパンだけ白いのは困る。国民の配給のと同じにしてくれ」とおっしゃって、お聞き入れにならないかった。そこで、やむなく一般国民と同じ配給の粉を使った、黒っぽい粗末なパンを召し上がって戴くことになった、という事実がある(佐野恵作『天皇の横顔』同28年)。


次に後者について。

昭和天皇は、同20年12月10日、松村謙三農林大臣を召して、食糧不足を心配され、皇室の御物(ぎょぶつ=宝物)の目録を渡し、同大臣から幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)首相に届けさせ、同首相から連合国軍最高司令官・ダグラス・マッカーサーに対し、「これ(皇室の御物)を代償としてアメリカに渡し、食糧に代えて国民の飢餓を1日でもしのぐようにしたい」との、ご自身のお気持ちを伝えさせた。


これに感動したマッカーサーは、「御物を受け取る訳にはいかないが、昭和天皇のお気持ちは十分に了解したので、自分が責任を持って必ず本国から食糧を輸入する方法を講じる」

旨の回答をし、早速、対策の為に動き出したという(松村『三代回顧録』同39年9月、朝日新聞〔同54年8月30日付〕)。


事実とは余りにもかけ離れている。

しかし近年でも、さすがに件(くだん)のプラカードよりはもう少し“巧妙な”表現ながら、皇室への事実無根のバッシングが、匿名の「皇室ジャーナリスト」「関係者」などの発言として、一部の週刊誌などに見受けられるのではないか。

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