top of page
  • 執筆者の写真高森明勅

コレラ禍のパリにて

更新日:2021年1月20日

コレラ禍のパリにて

著名な「愛と革命」の詩人、ハインリヒ・ハイネ。1832年にコレラが突然フランスで流行して、毒物混入の流言蜚語(ひご)を警察当局が認めるような公示を出し、これに激昂(げきこう、げっこう)した民衆が、“怪しげ”な人間を次々に虐殺して回った事件を、パリの現地から報告していた。


「ヴォラジール通りでは、白い散薬を持っていたため2人が殺された。私が見たとき、災難にあった2人のうち1人はまだ喉(のど)をごろごろ言わせていた。だがちょうどそこへ老婆たちがやってきて、木靴を脱ぎ、それで瀕死(ひんし)の男の頭を殴りつづけ、ついに息を引きとらせてしまった。男は丸裸であった。


残虐この上なく殴りつぶされ、踏みくだかれていた。衣服はおろか、毛髪、陰部、唇、鼻まで引きちぎられていた。そして1人の乱暴者が紐(ひも)を死体の足に結(ゆ)え、通りを引きずり歩いた、『これがコレラだ』と絶えず叫びながら。胸をはだけ、手を血まみれにした素晴らしく美しい、怒りで蒼白(そうはく)になった1人の女性が立っていた。女は死体が近づいてくると、なおも足蹴(あしげ)りを1回くらわせた」(「フランスの状態」『ハイネ散文作品集』第1巻)


近来、国内の新型コロナ恐怖症が生み出した「自粛警察」「マスク警察」などの動きの奥底にも、パリの惨劇の際の、正義の仮面を被(かぶ)った、恐怖と憎悪と狂気に通じる激情の“芽生え”を、仄(ほの)かに予感させるものがある。


bottom of page