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「駅弁」という文化

執筆者の写真: 高森明勅高森明勅

「駅弁」という文化

「駅弁」という文化


元・博報堂勤務で、女性初のコピーライターだっだった方がスウェーデン人の男性と結婚し、今はフランスに住んでおられる。


デュラン・れい子さんだ。


彼女の文章は、知識人ぶらず、庶民の視線から、普段、見落としがちな日本の「魅力」に、気付かせてくれる。例えば「駅弁(駅売り弁当)」。


「大の日本びいきの版画家ビギーは、来日するたびに各地の和紙の工房を訪ねることを楽しみにしている。私もスケジュールをやりくりして、一緒に旅行できる機会を懸命に作る。


…東京駅で駅弁を選ぶ。

なんとまぁ、いろんな種類があることか! 

日本人にはあたりまえなのだろうが、定番の幕の内の他にも、ひとつひとつアイデアがあり容器に工夫が凝らされていて、ビギーの感嘆の対象となるのも無理はない。


『たかが弁当、されど弁当』こんなにエネルギーをつかって創造性をふくらませている国民は、たぶん日本人しかいないだろう。


…ヨーロッパの国々の駅で売っているお弁当は、ほとんどサンドイッチ。

パンの違いがあるくらいで、その都市の特色が出ているものはない。

イタリアのパルマで、ご当地名産パルマハムのサンドイッチを売っていたくらいか。

…地方地方の特色をこんなに出しながら、弁当という“小さな宇宙”に詰め込む日本人の知恵。


折り紙の箱に一食を、それも工夫を凝らしてまとめるという発想は、ヨーロッパにはないものだ。『まさに箱庭の発想』と(一緒に旅行していた)全員がうなる。


…なぜ日本にこういう弁当文化が花開いたのか、各人いろいろ意見を出したが、今回日本に初めて来たエイドリアンがこんなことを言い出した。


『それはね、お箸のせいですよ。僕は日本に来て初めてお箸を使った。サンドイッチはすぐ食べられるけど、こんなに工夫を凝らして彩りよく並べた弁当は、手で食べたくないですよね。『駅弁』はお箸の国ならではの文化です』


…確かにナイフとフォークで食べる洋食に駅弁は向いていない。

ということは、お箸あっての駅弁なのかもしれない。

日本ではあたりまえになってしまっていることが、外国人に言われて目からウロコのこともある」(『一度も植民地になったことがない日本』)


ちなみに、その駅弁の起こりはいつか。『神戸駅史』(昭和32年)巻末の「神戸駅年譜」に次のような記述があるらしい(谷沢永一氏『紙つぶて(全)』に紹介の雪廼舎閑人『汽車弁文化史』による)。


「明治十年七月、立売(たちうり)弁当販売開始」と。

他にも、同16年・熊谷駅、同18年・宇都宮駅で始まったなどの説もあるようだが、一先ずこの記事を信じると、駅弁はもっと古く、明治10年7月に神戸駅から始まったことになる(同年、京都~神戸間の鉄道が初めて開通)。


よく知られているように、わが国での鉄道は、明治5年9月の東京~横浜間の開通から始まる。神戸駅で駅弁が販売される僅か5年前。

だから駅弁は、日本での鉄道の歴史と共に古いと言えよう。

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