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  • 執筆者の写真高森明勅

三笠宮、婚姻の自由を認めないのは「皇族の人格に対する侮辱」


三笠宮、婚姻の自由を認めないのは「皇族の人格に対する侮辱」

昭和天皇の末弟でいらっしゃった三笠宮(1915年~2016年)。

皇族の「婚姻の自由」を巡り、強い主張を持っておられた(「新憲法と皇室典範改正法案要綱(案)」昭和21年11月3日、日本経済新聞ホームページ。奥平康弘氏『「万世一系」の研究』にも部分的な引用がある。以下の引用は主に後者による。


但し後者には一部、出典の表記を誤っていると見られる箇所がある)。


「皇族だけこの(婚姻)の自由を認めないのは皇族の人格に対する侮辱である」


「(過去の皇族の婚姻は)宛〔あたか〕も種馬か種牛を交配する様に本人同士の情愛には全く無関心で家柄とか成績とかが無難で関係者に批難の矢の向かない様な人を無理に押しつけたものである。之〔これ〕が為どんなに若い純情な皇族が人知れず血の涙を流し果〔はて〕は生死の境〔さかい〕をさ迷ふたことであらう」


三笠宮の痛憤ぶりが伝わる当事者ご自身による切実なお訴えだ。


私としては、甚だ申し訳ない次第ながら、ご婚姻後も皇族の身分にとどまられるケースでは、そのご婚姻が担う公共性に照らして、“皇室会議の議を経る”という現行の手続き(皇室典範第10条)は当面、維持されるべきだと考えている。


しかし皇室の方々が、そのように「婚姻の自由」が一定程度制約されている事実に対して、国民も当然そのお辛さに対する心配りを求められるはずだ。


しかるに男系限定論者の中には、皇族のご婚姻をそれこそ「種馬か種牛を交配する様に」考えているとしか思えない言説を、平気で吐き散らす者がいるようだ。


国民として不敬・非礼にもほどがある。


三笠宮の意見書には以下のような、“退位の可能性”について鋭く切り込んだ一節もあった。


「国事、国政については自己の意思を強行することも出来ないばかりでなく、拒否権すらない天皇に更に『死』以外に譲位の道を開かないことは新憲法第18条の『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない』といふ精神に反しはないか?」


天皇陛下は先日(令和4年12月3日)、学習院大学・史料館で開催された三笠宮のご生涯を振り返る特別展示会(「ある皇族の100年ー三笠宮崇仁親王とその時代ー」)に、敬宮(としのみや、愛子内親王)殿下とご一緒に、わざわざお出ましになった。この事実を軽々しく見逃す訳にはいかない。

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