6月5日、滋賀県甲賀市で第72回全国植樹祭が行われ、天皇・皇后両陛下は御所の玄関前にわざわざ会場を設営の上、オンラインで出席され、スギやトチノキなど滋賀県にゆかりある苗木をお手植えになった。そこでの天皇陛下の「おことば」に、以下のようにあった。
次の世代、またその次の世代へと
「滋賀県の中央部に位置する琵琶湖は、周囲の山々から流れ出す河川によって形成され、人々の暮らしを支える重要な水源として、また、水上交通の要所として大きな役割を果たしてきました。
滋賀県の豊かな森林は、琵琶湖の水源を擁し、琵琶湖固有の生態系を育むとともに、古代より、
森林から切り出された木材が琵琶湖の水運によって都や社寺の建築に利用されてきています。
このような『木を植え、育て、伐(き)って利用し、また植える』という循環の取組(とりくみ)は現在にも受け継がれ、今もなお、多くの人々の協力と活動により森林づくりが行われていることを喜ばしく思います」
「森林は、水源の涵養(かんよう)や国土の保全、木材を始めとする林産物の供給など、私たちに様々な恩恵をもたらします。
また、温暖化の防止や生物多様性の保全など、地球環境を守っていく上で、その重要性は今日(こんにち)ますます大きなものとなっています。こうした森林の大切さを思うとき、私たちにもたらされる自然の恵みに感謝するとともに、これからも健全な森林を育み、木々を木材として循環利用しながら、次の世代、またその次の世代へと引き継いでいくことは、私たちの果たすべき大切な使命であると考えます」
世界の「水」問題に長年、専門的に取り組んで来られただけに、生態系の循環性、その中での森の大切さを深く洞察されて、一般の人々にも分かりやすくご指摘下さった。
「次の世代、またその次の世代へと引き継いでいく」その国民の営みを見守り続けて戴く為にも、皇位の安定継承が欠かせないことを、改めて銘記させられる。
よく植林に務めてくれよ
ちなみに植樹祭の起こりは、被占領下の当時、昭和天皇が戦争に傷つき疲れた国民を励ます為に、全国を巡幸された折、各地の森林が荒廃していることに御心を痛められ、行く先々で、機会あるごとにご自身で植樹されたことに由来するという(鈴木正男氏『昭和天皇のおほみうた―御製に仰ぐご生涯』)。
その最初は昭和22年11月1日、富山県婦負(ねい)郡細入(ほそいり)村で戦災者などを御慰問になった際、付近の山林に立山(たてやま)杉の苗木を3株お手植えになり、山林の所有者・前沢善作氏(当時70歳)にも「よく植林に務めてくれよ」と仰せになられた(鈴木氏『昭和天皇のご巡幸』)。
この事実について、『昭和天皇実録』には「(富山)県植林功労者前沢善作の所有地にお立ち寄りになり、度々(たびたび)水害を被(こうむ)る富山県に対し、造林御奨励の思(おぼし)召しをもって、スギ苗3株をお手植えになる」(同日条)と記す。
第1回全国植樹祭はそれより3年後の昭和25年、山梨県甲府市で行われた。
植林と日本神話
なお、森林(の地下)に水が貯えられている事実、及び「植林」の大切さについては、日本人は古代から自覚していた。そのことは、『古事記』『日本書紀』の神話によって窺うことができる。
『古事記』には、天照大神の弟にあたるスサノヲの命(みこと)が延々と泣きわめく場面で、森林に覆われた緑豊かな山々(の地下)に貯えられた水を吸い取って泣き続けたせいで、森林がことごとく枯れてしまったという描写がある(この解釈は本居宣長『古事記伝』ほか)。
このような神話は、森林に水源としての機能がある事実を知っていなければ、生まれないはずだ。
また『日本書紀』の神話では、スサノヲの尊(みこと)の子の五十猛(いたける)の神が天から降(くだ)った時、九州から始めて全国の山々に植林をして、緑の日本列島を現出させたという(第8段、第4の一書)。同神が朝鮮半島には植林をしなかったと伝えているのは、当時、朝鮮半島の山々が禿げ山だったからだろう。山々の森林を守る為に植林が欠かせないことを自覚していなければ、こうした神話が生み出されることもなかっただろう。
このように振り返ると、毎年、天皇陛下のお出ましを仰いで行われている全国植樹祭には、昭和天皇の国土復興への願いと共に、古代以来の日本人の智恵が背景にあることが分かる。