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「天皇制」廃絶論者が女性・女系天皇を否定する本当の動機とは?


「天皇制」廃絶論者が女性・女系天皇を否定する本当の動機とは?|神道学者、皇室、天皇研究者 高森明勅 公式ブログ

過日、文化放送のラジオ番組「田村淳のニュースクラブ」に出演した。

その時に、番組にレギュラー出演している女性弁護士から、女性・女系天皇への疑問を投げ掛けられた。彼女はリベラル系で、恐らく「天皇制」廃絶論者らしい。

その発言を再整理して紹介すると、およそ以下の通り。


《無くすべき差別的規定?》


「ことさら、女性・女系天皇を容認しようとする理由が、理解できない。

『天皇制』は憲法が認めた唯一の“差別的規定”で、日本の社会が無くそうとしている身分制度や男女差別、古い『家』の制度などが皆、詰まっている。


それが認められるのは男系男子でずっと続いて来たという正統性が担保されているから。

だから今後も、男女差別も含めてそのままの形で、続く限り維持すればいい。

それで行き詰まって消えることになれば、それが日本の歴史が選んだ結論なのではないか」…


という趣旨の発言だった。


興味深い発言だ。

保守系の頑固な男系絶対論者とほとんど同じロジックになっている。


その背景にあるのは、(直接、言及はされていないが)〔A〕天皇・皇室を巡る制度を「身分制の飛び地」と見る長谷部恭男氏らの憲法学上の有力学説と、〔B〕女性・女系天皇を「『万世一系』から外れた制度」で、「いかなる『伝統的』根拠も持ち得ない」とする、やはりリベラル系憲法学者の奥平康弘氏の論文(「世界」平成16年8月号)だ(「男系男子でずっと続いてきた」というのは明治の皇室典範による先入観。詳しくは拙著『「女性天皇」の成立』第3章を参照)。



《「飛び地」説の危険性》


彼女の発言に対して、私は3点、指摘しておいた。


①最高法規である憲法が前提とする「皇統」は、男系・女系の両者を含み得るというのが、政府のこれまでの考え方だ。


②「飛び地」説の危険性は、皇室の方々は「飛び地」の中にいるのだから、その人権や人格の尊厳は無視してよい、という見方に傾きかねないこと。これまで、皇族への理不尽なバッシングを繰り返し許して来た背景にも、そうした考え方がある。


しかし、人権は憲法以前、国家以前の人間としての権利とされている以上、憲法が定める「象徴」「世襲」という制度と絶対的に対立・矛盾しない限り、皇室の方々の人権についても極力、尊重すべきではないか。


③憲法は皇位の安定的な継承を要請する一方、その継承は皇室典範のルールに従うことも求めている。しかし、今の皇室典範は(〈a〉側室が不在で、非嫡出子・非嫡系の継承可能性を排除している…にも拘らず、〈b〉継承資格を男系男子に縛るという)安定継承を妨げるルールになっている。


ならば、憲法の要請に従って皇室典範を改正し、女性・女系天皇を認める他ないーと。


《奥平氏の政治的思惑》


なお、奥平氏の学問的な主著『「万世一系」の研究』では「(万世一系と女性天皇容認の)両者は敢へて関連づける必要性の無い、全く別次元のものして認識されてゐた」(神社新報編輯部『皇室典範改正問題と神道人の課題』)との指摘が既にある。


私も、『「万世一系」の研究』と「世界」論文を読み比べて、違和感を禁じ得なかった。


その点から考えると、同氏の「世界」論文は多分に“政治的思惑”に基づいて執筆されたものだった可能性を否定できない。少し深読みすれば、明治の皇室典範が新しく採用した“男系男子”限定というルールを、「万世一系」を支える「正統性」の根拠にまで敢えて“引き上げる”ことで、皇位継承の行く手を塞ぐ(!)ことを目論んだようにも見える。


《「天皇・皇室が滅んでも構わない」?》


これは、なかなか巧妙な論理で、一度この論理を受け入れると、天皇・皇室の存続を至難にする「側室無き男系男子限定(=女性・女系天皇排除)」に固執して自滅するか、それを回避する為に先の限定を見直すと、今度は正統性が無いという攻撃をまともに浴びる以外の選択肢が、無くなる(だから、私は一貫してそれを批判して来た。上掲拙著第5章など参照)。


先の女性弁護士は、その意図を正確に見抜いて、ことさら女性・女系否定論を唱えたのだろう。

しかし、男系絶対派も何故かこれに飛び付いてしまった。自分達の脆弱な論拠を、少しでも補強してくれると思い込んだのか。その為に、「天皇制」廃絶論者と足並みを揃える結果になっているのは、まことに皮肉な光景と言わざるを得ない。


「男系じゃない天皇・皇室ならば滅んでも構わない!」という発言を何度、彼らの口から聞いたことか。


追記

衆院選期間中における皇位の安定継承、女性天皇の実現に向けた有志国民の取り組みの最終的な集約件数は110件。特筆すべき、皇室を敬愛する国民による自発的行動だった。

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