• 高森明勅

憲法は今、生きているか?

最終更新: 5月27日


少し先回りになるが、5月3日(憲法記念日)のゴー宣道場のテーマは勿論(もちろん)「憲法」。


この日には毎年、護憲派・改憲派がそれぞれ集会を開いて来た。しかし、果たして護憲派は、何を目指しているのか。彼らの願いは叶(かな)っているのか。


もとより憲法9条それ自体(更に憲法の全条文)は、これまで僅かな変更もなされていない。しかし、それで護憲派は満足なのか。自衛隊という軍事組織が存在し、在日米軍と共に、アメリカの国際軍事戦略の一翼をも担いつつあるという現実に対して、憲法がほぼ無力である現実をどう見ているのか。一方、改憲派はどうか。


保守派の“希望の星”とも見られていた現職の首相が以前、改憲派の集会で映し出されたビデオの中で、期限にまで言及して改憲への気運を高めようとした…が、結局、空振り(つまり安倍前首相の人気取りだけ)に終わった。


現在、憲法を巡って、真に問われるべき“焦点”は何か。それは、憲法は今、本当に「生きて」いるのか、果たして最高法規としての規範性、理念性を保持できているのか、という根源的な問いかけではないか。


いくら“文字面”だけを「死守」しても、或いは逆に「改定」しても、憲法としての“命”が既に喪われているのであれば、全く無意味だ。そこを問う場を設けたい。その際、具体的な手掛かりとして、差し当たり3つの論点を考えている。


コロナ禍と自衛権と天皇。


先ず、コロナ禍における政府・自治体の様々な措置と憲法との整合性が、真正面から問題視される場面を殆(ほとん)ど見掛けなかった。そのこと自体、憲法の規範性が衰弱している表れではないか。次に、憲法と自衛権の関係については、護憲派も改憲派もどちらも“欺瞞的”である点では、五十歩百歩のように見える。護憲派が、もし自衛隊違憲論を撤回しないならば、自衛隊の解体を主張するか、憲法改正を唱えるべきなのに、どちらにも踏み込まない。


一方、改憲派の多くは、安倍氏が9条(戦力不保持、交戦権否認)を維持(死守?)して、ただ「自衛隊」という語を書き加えるだけの提案をした時に、それが自衛隊を「戦力」未満の“非軍隊”としての地位に永遠に縛り付けることを意味するにも拘(かかわ)らず、これに賛成した。憲法を巡る欺瞞もここに極まったと言うべきだろう。


更に、憲法は皇位継承の具体的なルールを皇室典範に委ねている。だが、その典範のルール自体が、憲法が要請する「象徴」天皇の地位の「世襲」継承を“阻害”する内容になっている。

驚くべき矛盾だ。


ところが、その顕著明白で深刻この上ない矛盾が、今日までそのまま放置されて来た。憲法は皇位の安定継承を求めている。それを前提に、統治の基本的な仕組みが全て構想されている。なのに、憲法から名指しで委任されている典範が、その安定継承を困難にしている。

これも憲法の規範性への重大な脅威だろう。この“捩(ねじ)れ”を解かねばならない。


よって、5月道場のタイトルは以下の通り。


「憲法は今、生きているかーーコロナ禍、自衛権、天皇」。


小林よしのり氏の依頼によって、倉持麟太郎弁護士がチーフ・プロデューサー、私がアシスタント・ディレクターといった役回りで、お手伝いをしたい。