大饗と饗宴
11月16・18日、大嘗祭への参列者を招く「大饗の儀」。 これとは別に、即位礼の後に「饗宴の儀」が行われた事は、記憶に新しい。これは元々、大正・昭和の先例では大饗の儀だけだった。 何故か。 古来、別々に行われて来た即位礼と大嘗祭が、初めて連続して行われ(その間隔はどちらも僅か3日間)、「大礼(大典)」という新しい概念で一括されていた為だ。大饗は「大礼」後の饗宴という位置付けだった(旧登極令15条)。 即位礼・大嘗祭が連続して行われる事に対する疑念もあった(柳田国男など)。しかし、首都を遠く離れた京都で行う(旧皇室典範11条)以上、間隔を空けて別々に行うのは負担が大きくなり過ぎる。 そこで現実的な制約から、意義も性格も異なる両儀式が、やむなく一括して行われる結果になった。しかし、平成では本来の伝統に立ち返り、首都の東京で即位礼も大嘗祭も行われる事になった。そうすると、明治以前のように2つの儀式を切り離す事が可能になった。 両者が「大礼」として一括されるのではなく、それぞれ別々に行われるのであれば、即位礼の後にも、(大饗とは別に)それに付属する饗宴行事が必要になる。 こうして、平成から新しく「饗宴の儀」が行われるようになった。今回も当然、そのやり方が踏襲された。特に今回は、前回よりも一層、2つの儀式が行われる間隔を長く取っている(平成は即位礼=11月12日で大嘗祭が=同月22・23日、今回は前者=10月22日、後者=11月14・15日)。 以上のような経緯を考えると、「大礼」という概念は、既に過去のものになったか、又は新たな定義が必要になっている。