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  • 執筆者の写真高森明勅

昭和天皇と全国植樹祭

更新日:2020年12月25日


昭和天皇と全国植樹祭

天皇のお出ましを「行幸(ぎょうこう)」という。皇后、上皇后、皇太子、同妃などは「行啓(ぎょうけい)」。天皇とそれらの皇族がご一緒なら「行幸啓」という。上皇の場合、歴史的には「御幸(ごこう)」という言い方がなされた。一般の皇族は「お成(な)り」。


昭和の時代には毎年、2回、天皇・皇后が地方にお出ましになる、いわゆる二大行幸啓が、慣例となっていた。しかし、これらは勿論、国事行為ではなく、象徴としての公的行為。だから、法的な“義務”ではない。あくまで、ご自身の「お気持ち」によって行(おこな)って戴いている。くれぐれも、そこを勘違いしてはならない。


その二大行幸啓の1つが「全国植樹祭」。その発端には意外な事実があった。


昭和天皇は占領下に、戦争で疲弊した国民を慰め、励ます為に、幾多の困難を乗り越えて、全国を巡幸(じゅんこう、天皇が各地を巡られる事)して下さった。昭和22年の秋には北陸3県を巡られた。富山県には10月30日から11月2日にかけてご滞在。その3日目に、昭和天皇ご自身のご希望により、県東部の山奥の婦負(ねい)郡細入(ほそいり)村(当時)から次の目的地(笹津、ささづ)に向かわれる途中の山林にて、立山杉(たてやますぎ)の苗木を3本、お手植えになった。これは前日の夜、急に決まった事だった。


昭和天皇は山林を所有する老農夫(前沢善作氏、当時70歳)に「よく植林に努めてくれよ」と直接、お声をかけられた。農夫は畏(おそ)れ多さから、俯(うつむ)いたまま「はい、生命(いのち)をかけてもお守り致します」と答えて、涙を流したという。自分の山林に、天皇ご自身が苗木をお手植え下さった上に、直接、お言葉を頂戴するなど、夢にも考えられない光栄だった。


当時は、戦争中の乱伐と戦災により、日本全国の森林の荒廃が激しかった。この事がきっかけとなり、翌昭和23年に東京・青梅、同24年には神奈川県・箱根で、森林愛護連盟による「植樹行事ならびに国土緑化大会」が、昭和天皇・香淳皇后のご臨席を賜って開催された。国土緑化推進委員会(現在は委員会から機構に変更)による全国植樹祭が始まったのは、その次の年(同25年)からだ(第1回は甲府市片山恩賜林)。昭和44年の富山県(植樹祭の原点!)での第20回植樹祭からは「おことば」を賜る例となった。


その後、平成27年から上皇陛下のご公務の負担軽減の一環として「おことば」が取り止められた。天皇・皇后両陛下が今年6月2日に初めてお出ましになった第70回大会(尾張旭市愛知県森林公園)では再び「おことば」を賜っている。勿論、陛下の国民へのお気持ちによるものだ。全国植樹祭の場合、恒例の行事に陛下のお出ましを仰ぐというより、むしろ昭和天皇ご自身の「日本の森を甦(よみがえ)らせたい」という強いご意志が、行事そのものの発端となった。余り知られていない事実ではあるまいか。


なお、昭和の「二大行幸啓」は平成で「三大行幸啓」となり、令和では「四大行幸啓」となっている。この点については改めて。

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