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  • 執筆者の写真高森明勅

11月あれこれ

更新日:2021年1月23日


11月あれこれ

今のところ固まっている11月の主なスケジュール。3日、明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に展示されている壁画を、別の場所で画像を映しながら解説。現地で説明できず、少しガッカリしていた。


だが改めて考えると、腰を落ち着けて丁寧に話ができる分、より充実した企画になるかも知れない。参加者が恐らく全く知らなかった事実や、自分の目で観ていながら殆(ほとん)ど見逃してしまうと思われる描写など、話したい内容をジャンジャン図録に書き込んでいる。

又、行き届いた説明をする為に追加資料も用意した。手前味噌ながら、面白くなりそうだ。


しかし問題は、どう考えても時間が足りない点。壁画は日本画・洋画合わせて80枚。1枚を僅か2分(!)で説明しても(勿論〔もちろん〕とても無理だが)160分必要だ。トータル2時間半(150分)の解説時間では、とても盛り込み切れない。これは頭が痛い。


8日、名古屋でゴー宣道場。

皇位の安定継承を巡るテーマと、それとは切り離した、テーマを絞らない登壇者との自由闊達(かったつ)な質疑応答。この二本立てだ。


道場史上、初めての意欲的な試み。既に事前の応募で200近い質問が寄せられているとか。

皆さんの熱意が伝わる。しかし、素朴な疑問として、これも時間が足りるのか。道場は原則3時間(180分)だったはず。多少、延長があっても、200問をそれぞれ1分(!)で回答しても(勿論とても無理だが)それだけで200分。


これまで、ワンテーマで普通にやっても、いつも時間が足りなかったような気がするが、気のせいか…。しかも、せっかくゲストに山尾志桜里衆院議員にお越し戴くのであれば、ゲストにしっかりお話し戴く時間を確保することも必要だろう。ところが、二本立てになったのは、当日は「立皇嗣の礼」が行われるので、私がテレビ出演などで欠席する可能性があって、それへの“保険”の為もあった、という噂をチラリと耳にした。そうすると一番、責任を感じるべきは、他ならぬ私自身ということになるのだが(今のところ、幸か不幸かテレビ番組などからの出演依頼はない)。


9日、「立皇嗣の礼」関連で東京新聞に何人か(4人だったか)の識者コメントが載る予定で、私の見解もそこに掲げられるはず(同じ記事が中日新聞に載るかどうかは未確認。東京新聞は中日新聞東京本社が発行)。


11日、私と縁が深い都内の皇居勤労奉仕団の事前勉強会で講義。新型コロナの影響で暫(しばら)く行われていなかった勤労奉仕の再開は有難い(我々の稽古照今奉仕団は9月に“気まま奉仕”を決行したが)。


同日、ネット番組「徒然草気まま読み」などの収録。


14日、しがく総合研究所で小さな勉強会。

同日、高森稽古照今塾。


この月の後半から大学の対面講義がやっと始まる。教務担当のS先生のご尽力に感謝。しかし一部に、学生への教育の為に最善を尽くす、という当然の姿勢が稀薄に感じられる傾向があったのは、残念だ。


22日、岡山護国神社境内(けいだい)のいさお会館にて講演。

昭和45年11月25日の三島由紀夫事件の翌年から、亡き父が中心になって、岡山市内で三島由紀夫・森田必勝(まさかつ)両烈士の御霊(みたま)を祭る祭典を続けて来た。


父が亡くなってからは、私の末弟がその志を受け継いで祭典を営んでいる(先頃亡くなった母も、近年までそれを懸命に支えていた)。今年は事件以来50年の節目の年に当たることから、私も同祭典に参列すると共に、その後、「三島事件50年と憲法改正」と題して講演することになった。


事件当時、私は中学2年生。その衝撃は今も忘れない。そもそも、私の思想的覚醒の“原点”はあの事件だったとも言えるだろう。講演は午後2時から。恐らくごく小さな集まりだろう(特に今年は新型コロナの影響も)。参加費は無料でどなたもご参加戴ける(事前申し込みも無用)。


25日、参院議員会館1F講堂にて午後4時から緊急シンポジウム「皇位の安定継承に向けて―もはや『先延ばし』は許されない!」。MCにフリーアナウンサーの川島ノリコさんも加わって戴いた。これは是非とも成功させたい。


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