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  • 執筆者の写真高森明勅

皇嗣、皇太子、皇太孫

更新日:2021年1月23日

皇嗣、皇太子、皇太孫

皇位継承順位が(その時点で)第1位の皇族を「皇嗣(こうし)」と呼ぶ。その皇嗣が天皇のお子様(皇子)の時は「皇太子」と称する。お孫様(皇孫)なら「皇太孫(こうたいそん)」(当然、皇太子の不在が前提となる)。


皇太子と皇太孫は「直系」の皇嗣で、世代は天皇の次(皇太子)か、更にその次(皇太孫)。なので、次の天皇になられることが(規範・理念として)確定している。では、皇太子でも皇太孫でも“ない”、一般的な皇嗣の場合はどうか。


「傍系」の皇嗣で、世代も天皇と同じか、上のケースさえあり得る。次の天皇になられることは必ずしも確定していない(だから皇太子の地位を示す「立太子〔りったいし〕の礼」は勿論〔もちろん〕前例があるが、「立皇嗣〔りっこうし〕の礼」はこれまで行われたことが無い)。


例えば、昭和天皇の弟宮(おとうとみや)の秩父宮(ちちぶのみや)の場合。上皇陛下が、皇太子としてご誕生(昭和8年12月23日)になる瞬間までは、何年も皇嗣であられた。


しかし、上皇陛下がお生まれになると同時に、継承順位は第2位に移り、もう皇嗣ではなくなられた。又(また)、もし上皇陛下に親王がお1方しかおられなかったら、今上(きんじょう)陛下のご即位と共に、上皇陛下の弟宮の常陸宮(ひたちのみや)殿下が皇嗣になられたはずだ。その時は、天皇陛下より皇嗣殿下の方が一世代上になる。


こうしたケースでは、皇嗣が実際に即位されることは(不測の事態でも起こらない限り)ないだろう。皇嗣というのは、そのようなお立場だ。だから、皇室典範は皇太子・皇太孫については、当然ながら皇籍離脱の可能性を一切、排除している一方、いささか意外なことに、一般的な皇嗣にはその可能性を否定していない(第11条第2項)。


次の天皇になられることが確定したお立場ならば、とてもこんな制度は考えられない。摂政への就任順序も、先ず“第1号”に「皇太子又は皇太孫」が挙げられ、次いで“第2号”として「親王及び王」が掲げられている(第17条第1項)。皇太子・皇太孫でない皇嗣の場合は、この第2号の筆頭に位置付けられている格好だ(同条第2項)。


更に「摂政(せっしょう)」の更迭(こうてつ)について、以下のような規定があるのも、見逃せない。天皇が未成年か、決定的な故障(重患又は重大な事故)がある場合、摂政が立てられる(第16条)。


だが、その摂政又は摂政になる順位に当たる皇族も同様の事情(未成年・決定的な故障)がある時は、皇室会議の議決によって、皇位継承の順序が次の皇族が代わって摂政に就任する(第18条)。その上で、摂政への就任順序が本来は”先”だった皇族に上記の事情が無くなった場合、どうするか。


その皇族が皇太子又は皇太孫で“なければ”、そのまま(第19条)。つまり、一般的な皇嗣なら、摂政就任を妨げた事情が解消しても、皇太子・皇太孫のケースとは異なり、摂政にはならないということ。


他にも、皇太子・皇太孫が天皇と同様、18歳で成年を迎えられるのに対して、一般的な皇嗣は他の皇族と同じく20歳とされている(第22条)、という相違もある。直系の皇嗣である皇太子・皇太孫と、傍系の一般的な皇嗣とでは、このように大きな違いがある。11月8日に予定されている「立皇嗣の礼」は、秋篠宮殿下が上記のような意味で“一般的な皇嗣”でいらっしゃる事実を、改めて内外に示す意味を持つに過ぎない。


現に、天皇陛下より僅か5歳お若いだけの秋篠宮殿下が、陛下がご高齢を理由に譲位された後、実際に即位されるとは考えにくい。従って、一部メディアに「秋篠宮殿下が次の天皇になられることをお披露目(ひろめ)する儀式」といった報道が見られるのは、不正確だ。


今後、政府・国会で皇位の安定継承を目指して検討する場合にも、秋篠宮殿下が次の天皇になられることを、恰(あたか)も既定の事実であるかのように捉え、そこから議論をスタートさせては、方向性を誤る。あくまでもゼロベースで、最も妥当かつ実現可能な解決策を求めなければならない。

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