先に國學院大學教授、藤田大誠氏の
「戦後の靖国神社と昭和殉難者合祀」を紹介した。
その連載3回目(『靖国』9月号掲載)から一部を以下に掲げる。
この種の文章を読み慣れていない人には少し読みにくいかも知れないが。
「昭和27年4月28日におけるサンフランシスコ講和条約の発効以降、
『戦犯』赦免・釈放に関する一大国民運動や数度に亘(わた)る
国会の決議があり、戦傷病者戦没者遺族等援護法・恩給法の数次に
亘る改正が行はれて『戦犯』やその遺族に対する公的援護措置の整備もなされ、
一般戦没将兵と同様の処遇とされた。
つまり、日本政府及び国民は、『戦犯』を
一般戦死者と同様に公務上の死亡者(公文書上、『法務関係死亡者』〈法務死〉と称した)と捉へ、戦争裁判では『戦犯』と呼ばれたものの、
決して国内法上の犯罪者とは同視しなかったのである。
かかる世論を背景とする国会決議や政府の法整備に基づき、
援護法・恩給法の原簿適用を受けた官民一体の
共同作業による靖国神社合祀においても戦争裁判受刑者を対象とするやうになる」
「『A級戦犯』とされた者に対する評価は
毀誉褒貶(きよほうへん)甚だしい。
東條〔英機〕や板垣〔征四郎〕ら一部の軍人を代表させることにより
一面的な『A級戦犯』像を描く向きもあるが、文官の廣田〔弘毅〕や
東郷〔茂徳〕に焦点を当てれば、その印象は大きく変はるだらう」
「占領解除後、日本政府と国民が『戦犯』といふ外からの
レッテル貼りを拒否したといふ事実は重い」
「昭和61年3月、社報『靖国』に掲載された『昭和殉難者靖国神社合祀の根拠』には、
昭和28年の第16国会で『援護法』が改正されたことにより…靖国神社でいふ
『昭和殉難者(刑死)』(法務関係死亡者)即ち
『所謂(いわゆる)A・B・C級戦犯の方々は、その時点を以て
法的に復権され、これを受けて、靖国神社は当然のことながら合祀
申し上げねばならね責務を負ふこととなつた』と述べられてゐる」
「『A級戦犯』の分祀(ぶんし、神社祭祀の本義とは異なり、
一部の祭神のみを神座から『分離』するといふ意味)論などは…
当然そのやうな措置は有り得ず、
神社祭祀の神観や霊魂観を全く無視した無責任な言説であつた」
「天皇御親拝の前提として、靖国神社春秋例大祭における
勅使参向が現在に至るまで継続してゐるといふ厳然たる
事実の重みは先づ以て深く認識しておかねばならないと考へる」
「『大東亜戦争終結後の、所謂戦犯刑死者、引責自決者等』を指す
『昭和殉難者』は、幕末維新の『殉難者』といふ伝統的表現に基づく呼称であり、
『国事に殉ぜられた人々を奉斎』するといふ『宗教法人「靖国神社」規則』
における目的の範囲内にある」
― 間然する所の無い論述と言うべきだろう。