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  • 執筆者の写真高森明勅

藀田倧誠氏の「昭和殉難者合祀論」から

先に國孞院倧孞教授、藀田倧誠氏の

「戊埌の靖囜神瀟ず昭和殉難者合祀」を玹介した。


その連茉回目『靖囜』月号掲茉から䞀郚を以䞋に掲げる。


この皮の文章を読み慣れおいない人には少し読みにくいかも知れないが。


「昭和幎月日におけるサンフランシスコ講和条玄の発効以降、

『戊犯』赊免・釈攟に関する䞀倧囜民運動や数床に亘わたる

囜䌚の決議があり、戊傷病者戊没者遺族等揎護法・恩絊法の数次に

亘る改正が行はれお『戊犯』やその遺族に察する公的揎護措眮の敎備もなされ、

䞀般戊没将兵ず同様の凊遇ずされた。


぀たり、日本政府及び囜民は、『戊犯』を

䞀般戊死者ず同様に公務䞊の死亡者公文曞䞊、『法務関係死亡者』〈法務死〉ず称したず捉ぞ、戊争裁刀では『戊犯』ず呌ばれたものの、

決しお囜内法䞊の犯眪者ずは同芖しなかったのである。


かかる䞖論を背景ずする囜䌚決議や政府の法敎備に基づき、

揎護法・恩絊法の原簿適甚を受けた官民䞀䜓の

共同䜜業による靖囜神瀟合祀においおも戊争裁刀受刑者を察象ずするやうになる」


「『玚戊犯』ずされた者に察する評䟡は

毀誉耒貶きよほうぞん甚だしい。

東條〔英機〕や板垣〔埁四郎〕ら䞀郚の軍人を代衚させるこずにより

䞀面的な『玚戊犯』像を描く向きもあるが、文官の廣田〔匘毅〕や

東郷〔茂埳〕に焊点を圓おれば、その印象は倧きく倉はるだらう」


「占領解陀埌、日本政府ず囜民が『戊犯』ずいふ倖からの

レッテル貌りを拒吊したずいふ事実は重い」


「昭和幎月、瀟報『靖囜』に掲茉された『昭和殉難者靖囜神瀟合祀の根拠』には、

昭和幎の第囜䌚で『揎護法』が改正されたこずにより 靖囜神瀟でいふ

『昭和殉難者刑死』法務関係死亡者即ち

『所謂いわゆる・・玚戊犯の方々は、その時点を以お

法的に埩暩され、これを受けお、靖囜神瀟は圓然のこずながら合祀

申し䞊げねばならね責務を負ふこずずな぀た』ず述べられおゐる」


「『玚戊犯』の分祀ぶんし、神瀟祭祀の本矩ずは異なり、

䞀郚の祭神のみを神座から『分離』するずいふ意味論などは 

圓然そのやうな措眮は有り埗ず、

神瀟祭祀の神芳や霊魂芳を党く無芖した無責任な蚀説であ぀た」


「倩皇埡芪拝の前提ずしお、靖囜神瀟春秋䟋倧祭における

勅䜿参向が珟圚に至るたで継続しおゐるずいふ厳然たる

事実の重みは先づ以お深く認識しおおかねばならないず考ぞる」


「『倧東亜戊争終結埌の、所謂戊犯刑死者、匕責自決者等』を指す

『昭和殉難者』は、幕末維新の『殉難者』ずいふ䌝統的衚珟に基づく呌称であり、

『囜事に殉ぜられた人々を奉斎』するずいふ『宗教法人「靖囜神瀟」芏則』

における目的の範囲内にある」


― 間然する所の無い論述ず蚀うべきだろう。

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