拙著『私たちが知らなかった天皇と皇室』(SBビジュアル新書』)
に次のような一節がある。
「歴史上の天皇と神宮との具体的なつながりを点検すると、
天武(てんむ)天皇(40代)から今上(きんじょう)陛下(125代)
に至るまで、1000年以上の期間で『たてまつりもの』『奉告』
『お祈り』などが史料のうえで確認できなかった天皇は、
仲恭(ちゅうきょう)天皇(85代)と長慶(ちょうけい)天皇(98代)
だけだ。これは驚くべき事実ではないか」と。
言う迄もなく、仲恭天皇は前近代には
「九条廃帝(くじょうはいてい)」と呼ばれていて、
明治3年に初めて歴代に加えられた(ご在位期間は僅か3ヵ月足らず)。
南北朝時代の長慶天皇も、大正時代に新しく即位の事実が確認され、
同15年に歴代に追加されている。天武天皇以降、それ以外の天皇は全て、
伊勢の神宮との深い繋がりが史料で確認できる。
これは、神宮が皇室にとっていかに重大なご存在であるかを、
如実に示す事実だろう。
しかし、先の引用部分を読んで、
「高森がこの短い一節を断定的に書く為には、
どれだけ膨大な史料に目を通さなければならなかったのだろうか。
凄い!」と感心した者は、誰もいないようだ。
しかし、別に感心するには及ばない。
私の前にちゃんと調査して下さった方がいるからだ。
その成果が八束清貫(やつかきよつら)氏
『皇室と神宮』(神宮教養叢書 第4集、昭和31年・神宮司庁刊)。
私はそれを覗いたに過ぎない。
同書には次のような記述もある。
「明治天皇は、明治2年3月12日を以(もっ)て、 神宮御親拝(ごしんぱい)を遂(と)げさせ給(たも)うた。 …斯(か)くして有史以来はじめての天皇の神宮御親拝を遂げ、 後代への先ショウ(足プラス従、せんしょう=先例)を開かせ 給うたのである」と。 意外に思う人がいるかも知れない。 実は、天皇ご自身による神宮へのご親拝は 明治天皇が最初だったのだ(明治天皇の神宮ご親拝は計4回に及ぶ)。 この度、4月18日に今上陛下による「神宮親謁(しんえつ)の儀」 が執り行われた。 天皇「親(みずか)ら謁し給う」 つまり天皇御(おん)親ら皇祖に請(こ)い見(まみ)え、 ご譲位のことを奉告されたのである。 “謁”は「もと神に告げ求める意。 …のちに貴人にまみえる意に用いる」 (白川静『字通』)。 これも明治天皇の先例があってこそ。 改めてその事実を銘記したい。 ちなみに明治2年の神宮ご親拝のご様子は、 明治神宮外苑にある聖徳記念絵画館に掲げられた 松岡映丘(えいきゅう)の「神宮親謁」に描かれている。 剣璽(けんじ)が先に進んでいる様子も見える (但し璽は死角に入っている)。
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