• 高森明勅

官邸での鈴木貫太郎と阿南惟幾


官邸での鈴木貫太郎と阿南惟幾

昭和20年8月の終戦を決するに当たり、ポツダム宣言の受諾に向けて努力していた鈴木貫太郎総理と対立し、最も頑強に抗戦継続を唱えていたのは、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣だった。9日深夜から翌早朝に掛けて、更に14日午前、2度にわたる御前会議でも、昭和天皇の御前を憚(はばか)らず、ポツダム宣言の受諾に明確に反対した。その姿を見せることで、陸軍抗戦派の暴走を危うい所で押しとどめていた、とも言える。


だが14日、昭和天皇の最後の聖断が下(くだ)り、終戦の方針が決まった時、抗戦継続を迫る陸軍将校らに切言した。「聖断は下ったのである。今はそれに従うばかりである。不満に思う者はまず阿南を斬れ」と。この場面で、阿南大臣が陸軍の大勢(たいせい)を制し切った意味は大きい。同じ14日夜、阿南大臣は官邸に鈴木貫太郎総理を訪ね、別れの挨拶をしておられる。その時の様子を、当時、内閣書記官長だった迫水久常(さこみずひさつね)氏が次のように語っている。


「8月14日の夜12時ごろ、私は総理大臣室におりました。そこに阿南陸相は軍帽を持ち刀を吊(つ)って入ってこられ、総理に対してきわめて丁重に礼をされた後、『この数日来私が申し上げましたことは、総理大臣閣下に対し非常な御迷惑をおかけいたしたと存じますが、私の本旨としますところは、ただ皇室の御安泰を祈ること以外に何ものもございません。あえて他意あるものではございません。どうぞ御了解をお願いします」と申されました。


鈴木総理はその言葉を聞かれると席を立ち、机を廻(まわ)って、(阿南)大将のそばに寄られ、その肩に手をかけて、『陸軍大臣、あなたの心持(こころもち)は私が一番よく知っているつもりです。阿南さん皇室は必ず御安泰ですよ、何となれば、陛下は春秋における御先祖のおまつりを、必ず御自分で熱心になさる方でございますから』と言われました。阿南大臣はそれをお聞きになりますと両方のほおにすっと涙が流れまして、私も固くそう信じていますと云(い)って礼をされて静かに部屋を出て行かれたのであります。


私は玄関までお見送りし、総理大臣室に帰って参りますと、鈴木総理は暗然とした面持(おももち)で『阿南陸軍大臣は暇乞(いとまご)い(別れの挨拶)に来たんだよ』と申されたのであります。私はその時の阿南陸相のお姿を今、目の前にほうふつとして思い浮かべることができるのでございます。


両度の御前会議における阿南陸相が、声涙(せいるい)真に下(くだ)って発言せられたお言葉を、一々私はこの耳に焼きつくように、その声の音(ね)も覚えておるのでございますが、私は阿南大将が陸軍大臣でおられたからこそ、日本は国内が分裂することなく、内乱もなく、平静な形において終戦ができた、その終戦ができたればこそ、今日(こんにち)皇室が現存し国民がかく繁栄しつつあるのだと考えるのでありまして、私は日本の終戦の最大の功績者は鈴木貫太郎大将とともに、阿南惟幾陸軍大臣であることを固く信じておるものでございます。阿南陸相は、大御心(おおみこころ)を具現すること、そして国体を護持することそれのみを祈念しつつ、一身に全責任を負って、従容(しょうよう)として自刃(じじん)されたのであります」(昭和34年8月14日、千鳥ヶ淵戦没者墓苑での追悼談より)


― かの日の官邸での両者の姿を思い浮かべると、深い感銘を禁じ得ない。

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