• 高森明勅

今上陛下、最後の「天皇誕生日」

12月23日、天皇陛下の85歳のお誕生日。

1人の国民として深い感謝の念と共に、

心からお祝い申し上げる。


この日が、「国民の祝日」であるのも、今年が最後。


再来年から「天皇誕生日」は2月23日に移る

(来年は異例ながら天皇誕生日は無し)。


今後、特段の立法措置が追加されなければ、

12月23日は来年から平日となる。


謹んで記者会見でのご発言からいくつか

ご紹介申し上げたい。


「私は即位以来、日本国憲法の下で

象徴と位置付けられた天皇の望ましい

在り方を求めながらその務めを行い、

今日まで過ごしてきました。

譲位の日を迎えるまで、

引き続きその在り方を求めながら、

日々の務めを行っていきたいと思います」


天皇陛下の「天皇の望ましい在り方」を

求められる“旅”は、「譲位の日」まで終わらない。


「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の

歴史をたどってきました。

皇太子時代を含め、私は皇后と共に

11回訪問を重ね、

その歴史や文化を理解するよう努めてきました。

沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの

私どもの思いは、これからも変わることはありません」


陛下ははっきりと言い切られた。


「我が国の戦後の平和と繁栄が、

このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって

築かれたものであることを忘れず、

戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが

大切であると思ってきました。

平成が戦争のない時代として

終わろうとしていることに、

心から安堵しています」


明治・大正・昭和、どの時代にも

天皇は常に平和を願われながら、

戦争を避けることが叶わなかった。


「心に残るのは災害のことです。

…多くの人命が失われ、数知れぬ人々が

被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。

ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め

様々な助け合いな気持ちが育まれ、

防災に対する意識と対応が高まってきたことは

勇気付けられます。

また、災害が発生した時に

規律正しく対応する人々の姿には、

いつも心を打たれています」


平成の歳月に繰り返された大災害。

その被害に苦しむ人々の為に、

先頭にお立ちになって、

懸命に手を差し伸べようとされ続けた

陛下のお姿を、私どもは決して忘れてはならない。


「障害者を始め困難を抱えている人に

心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、

過ごしてきました」


「国民“統合”の象徴」の役割とは何か。

陛下はその事を、

最も突き詰めて追究し続けてこられた。


「日系の人たちが各国で助けを受けながら、

それぞれの社会の一員として活躍していることに

思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする

人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎える

ことができるよう願っています」


これはかなりお厳しい道義的警告ではあるまいか。


「振り返れば、私は成年皇族として

人生の旅を始めて程なく、現在の皇后と出会い、

深い信頼の下、同伴を求め、爾来(じらい)

この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。

天皇としての旅を終えようとしている今、

私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、

私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より

感謝するとともに、自らも国民の一人であった

皇后が、私の人生に加わり、60年という長い年月、

皇室と国民の双方への献身を、真心を持って

果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」


陛下から国民への「感謝」なんて、

畏れ多すぎる。


国民はどれだけ皇室のご恩恵をまともに自覚し、

それに相応(ふさわ)しく感謝しているのか。

皇后陛下のご献身の偉大さは、

どれだけ強調しても足りないだろう。

「新しい時代において、天皇となる皇太子と

それを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねて

きており、皇室の伝統を引き続きながら、

日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」


陛下のご譲位後は、

新しい天皇を全力でお支えすることこそが、

陛下のお気持ちにお応えすることになる。


陛下はご会見の際、珍しく時折、

感極まったようにお言葉を詰まらせておられた。


天皇陛下の長年にわたる無私懸命のご献身に、

改めて深く感謝の気持ちを表したい。


なお、朝日新聞デジタル「大嘗宮」関連記事

(12月21日22時47分配信)に私のコメントが掲載さている。


※写真 朝日新聞デジタル

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