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栄光の宮

  • 執筆者の写真: 高森明勅
    高森明勅
  • 2018年6月3日
  • 読了時間: 2分

靖国神社崇敬奉賛会が設立20周年を迎える。

私は現在、同会の顧問を拝命している。

この度、刊行された記念誌(『靖国神社崇敬奉賛会20年の歩み』)に、 依頼によって「栄光の宮」と題する拙文を寄せた。 その冒頭と末尾のみを掲げる。

「『靖国神社の歌』(昭和15年、作詞・細渕国造、作曲・和真人) の1番の歌詞に、次の一節がある。 『ああ大君の 御拝(ぎょはい)し給(たま)ふ (ぬかづき給ふ) 栄光の宮 靖国神社』ー。

至尊の地位にあられる天皇陛下ご自身が、臣下の霊に対し、 わざわざ神社にまでお出ましの上、鄭重(ていちょう)に ご拝礼をなされる。

そんな光景は、前近代なら想像すら出来ないことだ。 だが実際に、靖国神社のご創建以来、 代々の天皇のご親拝を仰いで来た。

…今上(きんじょう)陛下の戦没者への深いお気持ちは、 これまでのご行動から明らかに拝察できる。

春秋の勅使のご差遣(さけん)も欠かされたことがない。

ただ首相さえ靖国神社への参拝を怠って恥じない

異常な政治状況が続いている。

そのために、ご親拝がかなわぬまま、

ご譲位の日が迫っている。

国民の1人として、陛下と英霊に対し、 慚愧(ざんき)に堪(た)えない。

『栄光の宮』の真姿回復に微力を尽くしたい」

首相の靖国神社参拝を中断させた張本人は今の安倍首相だ。

それが天皇陛下のご親拝をも困難にしている。

このまま陛下がご譲位の日をお迎えになれば、 靖国神社ご創建以来、初めて1度もご親拝をなされなかった 天皇となられる。

その重大さに誰が気付いているのか。


画像:Manuel Ascanio / Shutterstock.com

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