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  • 執筆者の写真高森明勅

天皇·皇室と「人権」を巡る憲法学での有力な考え方とは?


天皇·皇室と「人権」を巡る憲法学での有力な考え方とは?

現在、憲法の体系書として最も信頼されている文献の1つは、渡辺康行·宍戸常寿·松本和彦·工藤達朗『憲法Ⅰ 基本権 第2版』(令和5年、日本評論社)、同『憲法Ⅱ 総論·統治』(令和2年、同)だろう。


天皇·皇室と「人権」の関係について、前者にも記述はあるが、後者を参照すべきことが指示されている(37ページ)。よって後者の関連箇所を、いささか長めの引用になるが、参考までに紹介しておく(分担執筆者は工藤氏)。


「天皇および皇族が(憲法)第3章の『国民』に含まれるかについて学説上争いがある。…肯定説は、天皇·皇族も日本国籍を有する日本国民であり、第3章の権利(の主要部分)が人間であることにより当然に有する権利であると考えれば、天皇·皇族も人間であるから、これらの権利の保障は当然に天皇·皇族にも及ぶ。


ただ、憲法第1章の定める皇位の世襲制と職務の特殊性から必要最小限度の特例が認められるとする(芦部信喜)。…これに対して、否定説は、世襲の天皇制は『うまれによる差別』を憲法自身が認めたもので、人類普遍の原理の中の身分制の『飛び地』であるから、天皇·皇族には人権は保障されず、その身分に伴う特権と義務があるだけだとする(長谷部恭男)。


…憲法第3章の権利が、すべての人間が生まれながらに有する前国家的自然権であれば肯定説のように考えられるが、憲法によって定められた実定法上の権利だとすると、否定説が支持されよう。


肯定説では、天皇の権利の制限を皇位の世襲制と職務の特殊性から説明することになるが、現状では必要最小限の制限とはいい難い。


否定説では、このような権利侵害の主張は『論理の錯誤』にすぎないとされるから説明は簡単だが、特別の身分に属するがゆえに人一般の権利は享有しないとしても、人間である以上は人間としての処遇は必要だろう」(100ページ)


近年、新しく通説化しつつあるかに見える「身分制の『飛び地』」説への違和感が示されていて、興味深い。これについては改めて述べてみたい。


なお同書において、現行法上制限されている天皇の基本権(憲法上の権利)を整理する記述の中で、「信教の自由(20条)は認められるが、布教の自由は問題となろう」(101ページ)とある。


この書き方では、“信教の自由”を内面の自由だけに限定し、外部的行為を伴う“布教の自由”と区別しているように見える。


しかし、そのような区別は『憲法Ⅰ 基本権 第2版』での信教の自由についての説明で、「内心における宗教上の信仰の自由」と「信仰に基づく外部的行為の自由」を包含した概念としている(180ページ、分担執筆者は渡辺氏)のと、齟齬するのではないか。

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