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  • 執筆者の写真高森明勅

皇位継承問題を語るなら3つの恥ずかしい“時代錯誤”に要注意

更新日:2023年7月26日


皇位継承問題を語るなら3つの恥ずかしい“時代錯誤”に要注意

皇位継承問題を語る場合、無知ゆえか意図的かはともかく、明らかな時代錯誤を犯している事例をしばしば見かける。


①最も重大な時代錯誤は、皇室において“一夫一婦”制が採用され、側室制度が廃止されて以降は、歴史段階がそれより前とは全く異なる、という事実を見失っていることだ。


事実上、側室を持たれないことが通例化する最初の天皇は大正天皇で、自覚的に女官制度の改革を実行されたのは昭和天皇だった。更に、制度として非嫡出子・非嫡系子孫の皇位継承可能性を

全面的に排除したのは、現在の皇室典範(昭和22年)から。


にも拘らず、いまだに一夫一婦制が採用されて“いなかった”時代にのみ(!)持続可能性を期待できた「男系男子」限定という旧時代的なルールに固執するのは、まさに時代錯誤そのもの(ちなみに上皇陛下の世代以降における皇室の出生率は1.2~2)。


②前近代には皇位継承の順序などについて成文法上のルールはなく、その為に関係諸勢力の思惑が介在する余地があった(それによって政治的紛糾も免れなかった)。

それを改め、皇室典範を制定して初めて皇位継承のルールを法定化したことは(ルールの中身自体の今日的な評価は別にして)、皇室の歴史における画期的な出来事だった(明治の皇室典範の

制定は明治22年)。


一部の者が、女性天皇や女系天皇を認めるとたちまち皇位の継承に混乱が生じる(古代の壬申の乱や中世の南北朝の対立による動乱のような事態が再現される)などと唱えているのは、皇室典範が制定されたことの歴史的意義について無知なのか、それとも敢えて無視しているのか。

いずれにしても甚だしい時代錯誤だ。


③井上毅(こわし)の「謹具意見」(明治19年)や法制局(内閣法制局の前身)の「皇室典範案に関する想定問答」(昭和21年)を見ると、シナ由来の「父系(男系)血統の標識」(大藤修氏)とされる“姓”の観念が、新旧典範制定の時点ではまだ一定の社会的規制力を保っており、それが皇位継承資格を「男系男子」に限定する“決定的”な要因になっていたことが分かる(但し、「謹具意見」では「姓」という語が明記されていたが、「想定問答」ではさすがに言葉としては出てこないで、「強く感ぜられ」とか「観念されることも免れない」という、いささか曖昧な言い回しにとどまっていた)。


しかし制度上、“姓”が廃止されたのは明治4年10月12日の太政官布告による(『太政官日誌』)。


明治典範より前に、“制度”として姓は既に存在しなくなっていたのだ。それでも、井上の「謹具意見」までに制度廃止以降、僅か9年ほどしか経っていない。法制局の「想定問答」でも69年ほどだ。姓の制度は古代以来、変遷もありながら長く存続して来ていたので、ある程度は“観念的”な影響が残っていたのも、やむを得なかったかも知れない(但し先述の通り、「想定問答」の時点で既に“姓”という語そのものは用いられなくなっていた)。


しかし現時点で言えば、既に146年ほども経過している。現在のわが国を見回して、源氏だとか平氏だとかの“姓”が、社会を規律する上で生きて機能しているとは、到底考えられない。


“姓”による縛りは、とっくに過去のものとなっている。にも拘らず、「王朝交替」とか「易姓(えきせい=君主の“姓が易〔か〕わる”こと)革命(この場合はrevolutionの翻訳ではなく“天命が革〔あらた〕まる”こと)」などという、それこそ時代錯誤なセリフが出てくるのは、この事実を知らないか、敢えて目を逸(そ)らせているか、どちらかだろう。


時系列に沿って再整理すると、制度上“姓”が廃止され(③)→皇位継承のルールが法定化され(②)→側室制度が廃止されて皇室に“一夫一婦”制が確立した(①)。


これらによって(他にも皇族との婚姻によって国民が新たに皇族の身分を取得できる等の変更があった。これは“姓”の廃止を前提として可能になった変更だろう)、皇室は明確に“新しい歴史段階”に足を踏み入れている。従って、これらの変革以前の事例(先例・前例)について、それを思考停止的に現代に当てはめようとしても、全く不毛な時代錯誤に陥るだけだ。

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