
平成4年の上皇陛下の中国へのご訪問は、歴史上、わが国の「天皇」として初めての出来事だった。
先に、出発前の記者会見での受け答えと、中国の楊尚昆国家主席が主催した晩餐会でのスピーチの“見事さ”について、紹介した。
更に2点、興味深いエピソードを取り上げる。
その1つは、ご滞在中に西安で記者の質問に答えられたご発言(平成4年10月27日)。
「(西安は唐の都・長安の故地だが、中国における長年におよぶ戦乱の為に、古代の遺物がほとんど失われている事実に触れられて)日本は古くから中国の文物を取り入れてきましたが、正倉院を始めとしてよくそれを保存してきたということに、改めて思いを致しています。恵まれた日本の歴史と平和の重要性を感じています」
唐の都・長安の故地を訪れて、「恵まれた日本の歴史」を改めて銘記されたとおっしゃった。これは、戦乱に明け暮れたシナの歴史への厳しい批判に、ほとんど等しい。この時、上皇后陛下も次のような意味深長な感想を述べておられた。
「日本文化、とりわけ古代文化が、中国から受けた大きな影響を思うとともに、文化移入の折に行われた取捨選択を通し、日本文化の特性を考えてみるのも面白いのではないかと感じました」
わが国は古代以来、シナ文明の巨大な影響を受けて来たという事実がある一方、それでも日本の固有性・主体性を踏まえた「取捨選択」が行われており、まるごとシナ化した訳ではなかった。 その取捨選択の検証(特に何を“捨てた”か)から「日本文化の特性」を再発見できるはずだと、 控えめな言い方ながらおっしゃっている(私なぞが直ちに思い浮かべるのは、シナの「男尊女卑」という価値観から強烈な影響を受けながら、例えば神話上の最高神で皇室の祖先神が“女性”の天照大神であるという一点は遂に揺らぐことがなかった、という事実など)。
「からごころ」に呑み込まれなかった「やまとごころ」の在処(ありか)を示唆しておられる。
次にもう1つ、翌年の歌会始(お題は「空」)での、中国ご訪問を題材にされた御製(ぎょせい)と上皇后陛下の御歌(みうた)を取り上げる。
御製
外国(とつくに)の 旅より帰る 日の本の 空赤くして 富士の峯(みね)立つ
御歌
とつくにの 旅いま(今)し果て 夕映(は)ゆる ふるさとの空に 向ひてかへる
どちらも視線はひたすら「日本」に向かっている。「中国」という国名すら出て来ない。その上で、上皇陛下は「日の本」の夕映えの空に雄大に聳(そび)える富士の姿を、誇り高く詠(よ)み上げておられる。
上皇后陛下は同じ夕焼け空を詠みながら、祖国日本への思いを「ふるさと」という語に優しく託しておられた。毅然たる雄大さと穏やかな優しさ。それぞれ上皇陛下、上皇后陛下らしい違いはあっても、共に中国を訪れられたことで一層強まったかとも拝される、日本(「日の本」「ふるさと」)への誇りや愛情が、すっきりとした音律の中に情緒深く詠み込まれている。
これが上皇・上皇后両陛下ご自身によるご訪中の“総括”だった。
宮沢内閣が国内の強い反対を押し切って無理やり実現させた上皇陛下のご訪中は、忌憚なく申せば政治的には明らかに失敗であった。そのことは、何よりもその後のわが国と中国を巡る経緯自体が、疑問の余地なく証明している。
しかし、あの時の上皇・上皇后両陛下の格調高いお振る舞いは、むしろ歴史上、誇るべき偉大なご事績だった。そこを混同してはならない。
(了)