引き続き、天皇・皇后両陛下をめぐる逸話を(『文藝春秋』令和元年11月号、証言者の肩書きは当時)。
「陛下は1991年、国際比較文学会の東京大会に御臨席くださり、内外800人ほどの出席者を前に、テムズ河と瀬戸内の海上交通の比較について英語で実に見事なスピーチをされた。ことに外国からの会員は感嘆しきりであった。私は学者としての陛下の『出発点』を見る思いがして本当に嬉しかった」(東京大学名誉教授の芳賀徹氏)
「陛下が小学4年生になった時に東宮職からスケートの指導をお願いできませんかと電話をいただき、お引き受けすることにしたのです。最初は陛下がアイスホッケーをやりたいとおっしゃったのを、美智子さまがスピードスケートならばと説得されたそうです。初めて練習場で陛下にお会いした時は、大変緊張しましたが、人をなごませる雰囲気を当時からお持ちでした。
陛下は本当に模範的な生徒でした。真面目で練習熱心。
秋篠宮殿下も一緒に指導したのですが、対照的にやんちゃでした。…その後、陛下は雅子さまとご結婚されました。…雅子さまはとてもスケートがお上手で、こちらで教えることが何もないぐらいでした。お二人で仲睦まじく滑っている様子はいまだに鮮やかに目に焼き付いております」
(元スピードスケート日本代表の長久保初枝氏)
「(陛下が英国ご留学当時、日本人仲間でテニスを楽しんでおられ)そこには外務省や金融機関などから留学している人もいれば、陛下と一緒に来ている侍従やその家族も参加していました。その中にあって陛下のテニスの実力はずば抜けており…『どうしてそんなにお上手なのですか』と訊ねたら、プロテニスプレーヤーの佐藤直子さんにレッスンを受けているとお聞きし、『そりゃ敵うわけがない』と笑い合ったことがあります。
ただその時に陛下は、こうもおっしゃいました。
『私より、弟(秋篠宮殿下)の方がよほど強いんです。彼は関東大会でベストテンに入る腕前ですから』自分のことよりも弟を立てる兄としての優しさが感じられて、微笑ましく思えたものです」(大阪大学微生物病研究所所長・分子ウイルス分野教授の松浦善治氏)