top of page
執筆者の写真高森明勅

男系継承だったから平家や源氏が天皇の地位を狙えなかった?

更新日:2021年5月14日


「男系限定」維持を唱える立場から奇妙な意見を見掛けた。

「男系は皇統唯一のルールである。…このたった1つのルールによって日本は『世界最古の国』となった。…その理由こそ男系にある。父系を辿れば神武天皇に辿り着く皇統は時の独裁者にも覆せない。平家や源氏、あるいは足利、織田、豊臣、徳川…どの時代の権力者も 天皇になり代わることができず、せいぜい娘を天皇に嫁がせ、外戚として振る舞うことしかできなかった」(門田隆将氏、5月6日配信、夕刊フジ)と。


少しビックリするような発言だ。

というのは、ここで言及されている「平家や源氏、足利」は皆、「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」からだ。

この論者は、その事実を知らないのだろうか。

改めて言う迄もないが、例えば平清盛は、桓武天皇の皇孫(3世)高望王の血筋を引き、桓武天皇から11世の子孫。源頼朝が清和天皇から10世の子孫、足利尊氏は源氏の血筋で、清和天皇の15世の子孫で、皆、「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」紛れもない「(皇族でない)男系の男子」だ。


「君臣の別」、天皇とそのご一族(として公認された方々)をそれ以外の臣下、国民と厳格に“区別”すべきだという、歴史に培われたエートスを除外して、もし「男系が皇統唯一(!)のルール」だったなら、彼らは「男系の男子」として、堂々と天皇の地位を狙っただろう。

しかし、歴史が証明しているように、そんなことは出来なかった。


歴史上、「君臣の別」、天皇・皇族と国民の厳粛な区別が、揺るぎなく確立していたからだ。

たとえ「父系を辿れば神武天皇に辿り着く」男系の血筋の人物であっても(そのような人物は国民の中に数多く存在する)、ひとたび皇籍を離れ、国民の仲間入りをした以上は、天皇の地位を狙うことは勿論、元の身分に戻ることさえ、“本来なら”あるべきではない。

そのような考え方が浸透していた事実こそ大切だ。もとより長い歴史の中では、いくつか例外もあった。だが、それは踏襲すべき「先例」とは見なされず、原則から外れた「異例」とされる(だから、皇室典範では一旦、皇籍を離脱した人物の皇籍への復帰や、その子孫の皇籍取得を認めない)。

しかも、実例のほとんどは、天皇の皇子女(1世)から皇曾孫(3世)であって、旧宮家系男性のように20世以上(!)も離れた例は全く無い。


bottom of page