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  • 執筆者の写真高森明勅

天皇誕生日を控えて


日本律令と「女帝」

2月23日は“国民の祝日”の1つ、「天皇誕生日」。今年はどうなるか。産経新聞(2月6日付)に以下のような記事。


「宮内庁は…新型コロナウイルスの感染収束が見通せないことから、23日の天皇誕生日に宮殿で行われる予定だった祝賀行事のうち、今年は『宴会の儀』と『茶会の儀』の実施を見送ると発表した。『宴会の儀』は、陛下が皇后さまとともに三権の長らを招いて催される祝宴。


『茶会の儀』は、天皇、皇后両陛下が立ったまま各国の駐日大使らと懇談し、祝賀を受けられる儀式。陛下が三権の長からお祝いの挨拶を受けられる『祝賀の儀』は、茶会の儀に招待予定だった駐日大使らの代表1人を加えた上で、昨年と同様に実施する。


…宮内庁はすでに一般参賀の見送りを発表している。昨年…祝賀行事は(一般参賀を除き)予定通り実施されていた。宮内庁の池田憲治次長は(2月)1日の定例会見で、『感染拡大で現在、多くの国民が困難に直面している中で、最小限にすべきと考えた』と説明した」と。


天皇誕生日の「祝賀の儀」は新年の場合と違って、国事行為とはされていない。しかし、天皇という地位が“国家秩序の頂点”に位置する事実を端的に示す点では、勿論(もちろん)共通している。昨年に引き続き一般参賀が無いのは残念ながら(こちらは“国民結合の中心”であることを示す)、私は正月と同様、個人的に祝意を表す為に皇居に参上しようか。


なお当日、午前9時から宮中三殿にて「天長祭(てんちょうさい)」(小祭)が執り行われる(これは、“皇祖の系統と精神の正しい継承者”としてのお立場に基づく)。


天皇のお誕生日を「天長節(せつ)」と称してお祝いの行事が行われた史料上の初見は、『続日本紀(しょくにほんぎ)』に載っている、第49代・光仁(こうにん)天皇の宝亀(ほうき)6年(775年)10月13日(旧暦)の記事とされる。「天長」という語の出典は、シナ文献の『老子』(第7章)に見える「天長地久」。天皇のご健康とお栄えが、天地と共に長く久しく続かれることを願って、この言葉が採用された。


明治以降の祝祭日(祝日と祭日)のでも、天皇のお誕生日は「天長節」と呼ばれる祝日だった。今の「天皇誕生日」という名称に変わったのは、被占領下の昭和23年7月に祝日法(国民の祝日に関する法律)が施行されてから。


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