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執筆者の写真高森明勅

「男尊女卑」と女性天皇排除


「男尊女卑」と女性天皇排除

現在の皇室典範は皇位継承資格を「男系男子」に限定して、皇統に属する女性・女系皇族のご即位を、全面的に排除している。これは明治の典範の規定を踏襲したもの。


明治典範がそのような規定を設けたのは、伊藤博文のブレーンだった井上毅(こわし)の考えが強く反映している。では、井上は何故、女性・女系を排除したのか。


シナ父系制(男系主義)に由来する(今やすっかり過去のものになった)「姓」の観念

(→これが女系排除の理由)の他に、当時の「男尊女卑」の風潮(→これが女性排除の理由)があった(井上「謹具意見」)。


男尊女卑の価値観を前提とすれば、女性天皇がご結婚によって皇婿(こうせい=女性天皇の配偶者)を迎えられた場合、一般国民から天皇の地位よりも“高い”位置にあると見られてしまって、極めて不都合なことになる一方、女性天皇に独身を強制すべきではないので、そもそも女性天皇を認めるべきではない、というロジックだった。


「男を尊び女を卑しむ慣習、人民の脳髄を支配する我国(わがくに)に至(いたり)ては、女帝を立て皇婿を置くの不可なるは多弁を費(ついや)すを要せざるべし」と(「謹具意見」が引用した沼野守一の意見より。元々の出典は、明治15年3~4月に自由民権結社・嚶鳴社〔おうめいしゃ〕で行われた討論の筆記「女帝を立つるの可否」)。


このような意見が、現代日本においてとても通用しないことは、改めて言う迄もあるまい。

江戸時代の女性の地位はイングランドに比べても、より高かった(中村敏子氏)。


古代に遡っても、男尊女卑のシナとは異なり「未婚・既婚を問わず一女性としてそれなりの社会的地位を認められ、それにふさわしい活動を行っていた」「共同体の祭祀の場でその地位や役割を認められていた」「所有主体、売買主体、債権・債務の主体ともなり得た」(成清弘和氏)


という指摘がある。元来、最高神、皇祖神を“女性”とする国柄なのだ。

ところが、一般的なイメージとは異なり、男性の権利や自由・平等が進展した近代以降、かえって「男尊女卑」、女性差別の傾向が激しくなったのではあるまいか。シナの男尊女卑思想から影響を受けていた前近代でさえ、女性皇族のご即位が認められていたのに、明治になって上記のような理由で全く排除された事実からも、そのように見るのが妥当だろう。

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