明治天皇と国民体育大会
昭和の「二大行幸(ぎょうこう)」の1つ、「国民体育大会」。国内最大のスポーツの祭典だ。こちらは「全国植樹祭」とは違い、昭和天皇のご意志がきっかけになったのではない。それどころか、その前身は大正時代に遡る。
大正13年に内務省の主催によって第1回「明治神宮競技大会」が開催された。その目的は「明治天皇の聖徳を景仰(けいこう)し、国民の身体鍛錬、精神の作興(さっこう)に資す」というもの。主会場は明治神宮外苑競技場だった。
同競技場は戦後の国立競技場の前身で、近代日本で最初の大型スタジアムだった。周知の通り、現在は新国立競技場への全面建て替え工事中。同大会は第3回以降は明治神宮体育会の主催に移ったものの、昭和14年の第10回から再び厚生省主催となり、名称も「明治神宮国民体育大会」となった。大東亜戦争開戦翌年の同17年には「明治神宮国民錬成大会」となったが、戦時色が濃くなった翌年を最後に中断していた。
戦後は、占領下の同21年に第1回「国民体育大会」が開催された(兵庫・西宮球場)。天皇のお出ましは第2回(石川・金沢市営競技場)から。第3回(福岡・平和台球場)から、冬季大会と本大会の通算で男女総合成績第1位の都道府県に授けられる「天皇杯」と、女子総合成績第1位の都道府県に授けられる「皇后杯」が創設された(但し同国体には天皇のお出まし無し)。
第5回(愛知・瑞穂グランド)から新たに「おことば」を賜る例となった。明治神宮のご創建が大正9年で、その外苑競技場の完成は同13年。だから、同競技場の完成と共に国民体育大会の前身となった大会がスタートした事になる。同外苑の造営は元々、国民に広く開かれた場を目指していたので、まさに相応しい行事だったと言えるだろう。
明治神宮外苑には今も多くの人々が訪れている。
…だが現在、東京メトロ銀座線の「外苑前駅」という駅名が、明治神宮“外苑”つまり明治神宮にちなんでいる事実を自覚している人は、案外、少ないのではないか。それどころか、明治神宮のご祭神(さいじん)が明治天皇とその皇后だった昭憲皇太后である事すら、知らない場合がある。