先日、長野県・深志神社禰宜(ねぎ)の牟礼(示+豊)仁(むれ・ひとし)氏から『資料集 大嘗祭(だいじょうさい)論抄・全』(神社新報時の流れ研究会 研究資料)と同「附録」をご恵送戴いた。
題名に「全」とあるのは、『大嘗祭論抄』・同「続」編・同「補遺」編・同「追補」編を合冊した為だ。これは実に驚くべきご労作。前近代・明治・大正・昭和・平成・令和時代の約600人(件)の大嘗祭を巡る論評の重要部分を、丹念に抄出して(採録数は1,300件余り)1冊(週刊誌サイズで632ページ)にまとめられたもの(附録〔14ページ〕はその補遺)。編者の想像を絶したご努力の賜物(たまもの)だ。
同氏は長年、皇學館大學神道研究所に勤めておられた学者であり、『大嘗・遷宮(せんぐう)と聖なるもの』『中世神道説形成論考』(共に同大學出版部)などの精緻なご著書もある。現在、神社本庁教学委員・神社新報論説委員などを務めておられる。神社界を代表する論客のお一人である事に疑いを挟む人はいないだろう。氏のこれまでの研究実績から本書の内容の堅実さを察する事が出来る。令和の大嘗祭を控え、極めて有益な「資料集」が出現した。
ところで、本書には意外と多く私の議論が採録されていて驚いた。附録も併せると丁度20件。しかも冒頭の「執筆者等索引」には、同氏が“重要”と判断された僅か9名の論者の名前の下にラインが引かれていて、その1人に何故か私も加わっている。これは恐縮至極。ちなみに附録の最後に収められているのは、拙文
「何故わざわざ『大嘗宮』を建てるのか?」(ブログ、7月28日) https://www.a-takamori.com/post/20190728
「新嘗祭でも『新嘗屋』を建てていた」(同、同月29日)。
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