• 高森明勅

歴史学者の二重基準

歴史学者の二重基準


本には、一応頷(うなず)けるけど、まるで面白味を感じない場合がある一方、逆に受け入れられない部分もしばしば目につくのに、とにかく興味を惹(ひ)く場合がある。


書物として、後者の方が断然、魅力的なのは言う迄もない。

私にとって、歴史学者・桃崎有一郎氏の著書は主に後者に属する。

近刊書(『京都を壊した天皇、護った武士』)もそれなりに楽しく読めた。

しかし、ダブルスタンダードは感心しない。


承久(じょうきゅう)の変に際して、後鳥羽上皇が内裏(だいり)守護の任にあった源頼茂を「謀反(むほん)を企てた」という理由で攻めた結果、頼茂が自害するに際し、内裏に放火した事実を捉えて、「後鳥羽が焼いたに等しい」(実際に放火した頼茂ではなく、そのような場面に追い込んだ後鳥羽上皇が悪い!)と非難した。


これに対し、後醍醐天皇が足利尊氏の軍勢に攻められて、比叡山に逃れるに当たり、「拠点を敵に活用させないために」内裏に火を放たせた件を、「焼き払ったのは、後醍醐の意思である」(そのような場面に追い込んだ尊氏側ではなく、実際に放火を命じた後醍醐天皇が悪い!)と非難している。


どちらも、とにかく悪いのは天皇(上皇)側、という結論になっている。

しかし、これは明らかにダブルスタンダードではあるまいか。

どちらの視点にもそれぞれ一理はあろう。


しかし少なくとも、判断基準としては統一すべきだった。

そうでなければ、本書のタイトルにある「京都を壊した天皇」という印象を強める為の、コジツケのように見えてしまう(文中、『大日本史料』や『後醍醐天皇実録』などの誤りを丁寧な史料批判で訂正されたのは、学問上、有益な成果ながら)。


天皇批判者の中には、実は本人も無意識のうちに、天皇という存在に対して、強大な政治力や卓越した倫理性を求めている例(その無意識の要求に、充分応えられないからバツ、という評価の仕方)が、少なからずある。

今回も似たものを感じた。


なお、「エピローグ」に京都御所(ごしょ)を巡り、次のような一文があった。


「(日本が)法治国家で民主主義国家である以上、国民の側は、法に基づかずに好意で京都御所の維持費を出すことができない。

京都御所が、国民の総力で守るべき“国民全員の財産”であるためには、国有財産にすることを避けられないはずだ」


??これは奇妙な発言。

著者は何故か「京都御所は天皇の私物である」と思い込んでしまっている。

その「維持費」は現状、どうなっているとお考えなのか。

憲法第88条にこうある。

「すべて皇室財産は、国に属する…」と。

今さら「避けられないはずだ」などと改めて訴える迄もなく、京都御所はとっくに「国有財産」だ。


「皇室“用”財産」という位置付けで、専ら皇室の用途に当てられることになっているものの、天皇や皇室の“持ち物”(私物)では決してない。

皇居や赤坂御用地なども同様(なので、“維持費”には皇室経済法第5条に基づき宮廷費が当てられている)。

せっかくの締め括りが、少し残念な記述になってしまった。


もっとも、この辺りは歴史学者の守備範囲ではなく、担当の編集者が当然、気付くべきだったかも知れないが。


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