• 高森明勅

話術

話術


私の喋り方は一応、人並みの水準に達しているだろうか。

もしそうだと仮定するなら、それは何故可能になったか? 


少なくとも2つの理由が頭に浮かぶ。


1つは、小学生の高学年になるまで、極端な引っ込み思案だったこと。

いつもクラスの隅っこで、同級生達が楽しげに会話に花を咲かせているのを、羨ましく眺めていた。


その間、幼いなりに孤独な思考に沈潜する一方、「人と喋りたい」という気持ちが、どんどん内面に蓄積していた。


もう1つは、私の興味・関心の在り方が、比較的早くから、周囲の仲間達と余りにもかけ離れていたこと。


例えば、中学2年生の時(昭和45年=西暦1970年)、リアルタイムで起こった三島由紀夫の事件を全校生徒(だけでなく恐らく教師も含めて)の中で、たった1人だけ肯定(!)した。


興味の対象も、知識の身に付け方も、考える方向性も、殆ど孤立していた。

なのに、孤独を嫌って、少しでも共感を求めた。その為、自ずと自分の喋り方に僅かでも気を配るようになった。

…という事情がある。


その後、歳月を経て、喋り方が救いようもないほど下手くそというレベルよりは、もう少しだけはまともになっているのではあるまいか。


勝手な思い込みかも知れないが。

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