• 高森明勅

「聖域」としての皇室


「聖域」としての皇室


天皇陛下とそのご一族によって構成される皇室。その尊厳と聖域性をいかに守るか。明治及び現在の皇室典範が、一旦、皇族の身分を離れた場合、二度と皇籍への復帰を認めないのは、そのことに配慮した為だ。一般社会における身分制が廃止され、一方で世俗化が加速する現代では、皇室の聖域性は危機に晒されやすい。


従って、それを自覚的に“保守”する必要性が一層、高まっている。にも拘(かかわ)らず、近頃、この点への理解を著しく欠く傾向も、一部に見られた。そこで、皇室と国民の“区別”の大切さについての指摘を(既にこれまで取り上げたものも含め)、改めて紹介しておく。


「その事情の如何(いかん)に拘らず、一たび皇族の地位を去られし限り、これが皇族への復籍を認めないのは、わが皇室の古くからの法である。明治40年の皇室典範増補“第6条皇族の臣籍に入りたる者は、皇族に復するを得ず”とあるは、単なる明治40年当時の考慮によりて立法せられたるものではなく、古来の皇室の不文法を成文化されたものである。


この法に異例がない訳ではないが、賜姓(しせい=皇族の身分を離れて国民の仲間入り)の後に皇族に復せられた事例は極めて少ない…この不文の法は君臣(くんしん)の分義(ぶんぎ)を厳かに守るために、極めて重要な意義を有するものであつて、元皇族の復籍と云ふことは決して望むべきではない」(葦津珍彦氏『天皇・神道・憲法』昭和29年)


「(皇統とは)単に家系的血統を意味するだけでなく、『皇族範囲内にある』といふ名分上の意味を包含してゐるのである。然(しか)らざれば、(血統的には国民の中に“男系男子”が殆ど無数に存在する)我が国の如き皇胤(こういん=天皇のご血統)国家に於(おい)ては、君臣の分(ぶん=分限)を定めることが不可能に陥るであらう」(里見岸雄氏『天皇法の研究』昭和47年)


「歴史上は、一度皇籍を離脱した皇族が再び復して天皇となる平安時代の59代宇多天皇や60代醍醐天皇の例もあったが、近代の新旧の皇室典範はこれを認めなかった(醍醐天皇は父親の宇多天皇が3年間だけ、皇籍を離れておられた時にお生まれー引用者)。

まして、現在の伏見宮系皇族の末裔(まつえい)とされる男子たちは皇族であったことは一度もない。たとえ戦後直後における皇籍離脱がなくても、内規上は臣籍(しんせき)降下せざるを得なかった家々の末裔たちばかりである」(小田部雄次氏『皇族』平成21年)


「皇族でない者が皇位継承資格を持たないのは皇位が世襲のものであることから当然と考えられよう。また、天皇の血族であっても皇族の身分を離れた方やその子孫は皇位継承資格を持たない制度となっているが、これは皇位継承の歴史に沿った在り方であり、一般国民と皇室の方々との区別を明確にすべきとの理念が背景にあるものと考えられる」(園部逸夫氏『皇室法入門』令和2年)



ーー政府が、一部で唱えられていた、旧宮家系国民男性に“新たに”皇籍取得を可能にするという方策を、もはや選択肢から除外しているらしいのは、現実的で賢明…と言うより、皇室の聖域性を直感的に理解している多くの国民にとっては、ごく当たり前の対応だろう。

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