日本書紀と天皇の「3つのお立場」
先日の日本教師塾の打ち合わせは、半ば私の日本書紀講義のような感じだった。昨日のブログでは、「3人」の先生方が集まったと誤記している。集まったのはW校長、K先生、Y先生、W先生(紅一点)だから、勿論4人が正しい。失礼。
その時に私が語った1つは、天皇の歴史上の「3つのお立場」と日本書紀との対応関係だった。これまで誰も指摘していないし、私自身もこの日迄、どこでも喋っておらず、書いてもいなかった。そもそも“3つのお立場”という視点自体、天皇の歴史的な在り方について私なりに整理したもの。具体的には以下の通り。
①皇祖の“系統と精神”の正しい継承者
②国家の公的秩序の頂点
③国民結合の中心
これらと、
〔1〕憲法の規定(1条・2条)
〔2〕皇位継承儀礼(剣璽等承継の儀・即位礼正殿の儀・大嘗祭)
〔3〕正月行事(四方拝・新年祝賀の儀・一般参賀)
〔4〕お務め(国事行為・象徴としての公的行為・皇室祭祀)
との対応については、これまでも簡単に触れて来た。
一方、日本書紀との関連を見ると、次のように説明できる。
日本書紀の1・2巻(神代)は、①の“原点”についての伝え。3巻(神武天皇紀)以降は歴代の天皇が紛れもなく①に当たることを明らかにすると共に、②のお立場の確立と継承の経過を語る。
22巻(推古天皇紀)以降、最後の30巻(持統天皇紀)迄は、①と②に加えて、③のお立場が確立するプロセスを明らかにする。③が確立したのは、日本書紀で扱われる最後の天皇である持統天皇の時だった。その確立には公民制が前提として不可欠で、③のお立場を証明するのが、持統天皇のご即位に際して“初めて”執り行われた、皇位継承儀礼として毎年の新嘗祭とは峻別された大嘗祭だった。
日本書紀は、その意味では天皇の①②③のお立場が揃う道筋を、後世に残そうとした文献だったとも言えるだろう。このような見方も、教師塾の研修会ではもう少し詳しく話をしてみたい。