1月7日、昭和天皇祭。皇居・宮中三殿の皇霊殿(こうれいでん)で行われた。天皇陛下のご即位後、初めて。合わせて、八王子市の武蔵野陵(むさしののみささぎ)にも勅使が差遣され、幣帛(へいはく)を奉(たてまつ)って拝礼がなされた。夜には御神楽(みかぐら)も。ご丁重な祭りだ。
昨年のこの日には、ご譲位前の上皇陛下によって「昭和天皇三十年式年祭」が厳粛に執り行われた。この時はより丁重に、上皇陛下ご自身が武蔵野陵までお出ましになっての祭祀だった。
昭和64年1月7日、昭和天皇が87歳で崩御(ほうぎょ)された。記録の確かな歴代天皇では最長寿であられた。
111日間のご闘病の間、ご平癒(へいゆ)を願う多数の国民が、各地に設けられたお見舞い記帳所を訪れた。その数は延べで800万人を越え、恐らく一千万人にも達したであろう、と言う。私自身も記帳所に並んだ1人だ。
昭和天皇が崩御された当日は冷たい雨の降る暗鬱な日だった。街角には弔旗(ちょうき)が掲げられた。私は拙い挽歌(ばんか)を詠(よ)んだ。以下、(書斎のどこかに紛れてしまったので)覚束(おぼつか)ない記憶を頼りに掲げさせて戴く。
昭和の民(たみ)
挙(こぞ)り祈りし
御平癒の
願ひ空しく
今日を迎ふる
街角の
弔旗を濡らし
沁(し)み透(とお)る
民の嘆きと
冬の雨降る
さしのぼる
朝日のごとく
へだてなく
世を照らしたまふ
わが大君(おおきみ)は
神代(かみよ)より
変はらぬ嘆き
今にあり
わが大君は
神上(かむあ)がりましぬ
改めて昭和天皇を敬悼申し上げる。