• 高森明勅

皇居「一般参賀」の起こり



皇居「一般参賀」の起こり

令和2年の新年一般参賀。天皇陛下ご即位後、初めての新年参賀だった。1月2日は晴天に恵まれ、約6万9千人の国民が皇居に詰め掛けた。昭和以来、正月に欠かせぬ光景だ。この一般参賀の始まりはいつか。


いまだ占領下にあった昭和23年に遡る。宮内府(宮内省から昭和22年に変更。同24年から宮内庁)が、この年の元日に一般国民の参賀を受け付ける、と発表した(当時の名称は国民参賀)。それまでの「参賀の儀」は直接、天皇陛下のお姿を拝する事は出来なかった。しかも、伯爵、従二位・勲二等~従八位・勲八等以上の有位有勲者、門跡寺院の住職などに限られていた。その服装にも厳しい規定があった。それでも、宮殿に用意されている「参賀簿」に署名して帰るだけだった(天皇に直接お会いする拝賀者は、公爵・侯爵、正二位以上・勲一等以上)。


だから、一般国民が皇居の中に入って参賀できるのは、全く初めての試み。画期的な出来事だった。当初は、皇居の正門から入って、鉄橋辺りに設けられた記帳所で祝賀の記帳(住所と氏名を書く)を行い、そのまま引き返して正門から退出する、というコースが計画されて いた。ところが、想定以上に多くの人達が押し寄せた。そこで混乱を避ける為に、そのまま戦災で焼けた「明治宮殿」の焼け跡を通り、宮内府庁舎の前から坂下門を出るというコースに変更した。天皇陛下がお姿を見せられる事は一切、考えられていなかった。


ただ、一般国民が参賀の為に皇居に入っている事実は、昭和天皇に報告された。その頃、天皇は宮殿が焼けた為に、宮内府庁舎の2階の一室をご公務室にされていた。ご報告を聴かれた天皇は、すぐに「せっかく国民が来ているのだから、どこからか、その様子を、見る事は出来ないものだろうか」とおっしゃり、何と庁舎の屋上にお上がりになって、国民の様子をご覧になった。しかし国民の側は、まさか天皇ご自身が、わざわざ吹きさらしの屋上に登られてまで、自分らの様子をご覧戴いているなどとは、夢にも思わなかった。なので、1月1日と2日の参賀の時(この年は1日と2日にも参賀が行われた)には、報道記者やカメラマンも含めて、誰も天皇に気付かなかった(ちなみに、この時の参賀者の総数は1日が7万人、2日が14万人と推定されている)。


次に、お誕生日の4月29日に参賀があった。3回目の参賀だ。さすがにこの時は、参賀の人達が屋上の天皇のお姿に気付いた。今もその時の写真が残っている。国民は庁舎の下から万歳をしたり、帽子を振ったりして、祝賀の気持ちを精一杯表している。昭和天皇も屋上から、帽子を大きく振ってそれにお応え下さっているご様子が、しっかりと写っている。


正月と天皇誕生日に、国民が皇居に参上して祝賀の気持ちを表し、天皇陛下ご自身がそれにお応え下さる、双方向の一般参賀。そういう形は、宮内府も国民も、まるで想像していなかった。それを一変させて、今のような姿に繋げたのは、昭和天皇が国民にお寄せになった、お優しいお気持ちだった。一般参賀の原点はここにある。

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