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自衛隊元高級幹部の「加憲」擁護論

執筆者の写真: 高森明勅高森明勅

日本会議の機関誌『日本の息吹』6月号に、 航空自衛隊の元空将(最高位の階級)だった 織田邦男氏の自衛隊「加憲」への擁護論が掲載されている。

憲法9条2項の「戦力不保持」規定を“維持”する事への 問題意識が意外なほど低い。

「自衛隊違憲論がなくなれば現状より一歩前進です。 現状より1ミリでも前進すればそれは政治としては 合格だと思います」と。

これについては3点、指摘する。

(1)違憲論は既に憲法学界でも勢いが衰えている。 特に、代表的な憲法学者である長谷部恭男氏と木村草太氏が、 揃って合憲論を強く主張している事実は、重大。 違憲論を過大に評価し過ぎ。

(2)自衛隊を憲法に「明記」しても、 「戦力不保持」規定が残れば、現状の自衛隊の装備や訓練、 規模などがその“戦力”に該当するから違憲、 という議論は全く「排除」出来ない。

「せめて…違憲だという人が1人もいないようにしてもらいたい」 と言われても、無理。

(3)自衛隊に限らず、国家統治のあらゆる分野に亘り、 「違憲論」の可能性は常に残り続ける。 そうでなければ、憲法はそもそも「制限規範」としての 意味を持ち得ないだろう。

違憲論を排除する“為の”改憲なんて本末転倒だ。 又、氏は「自衛軍、あるいは国防軍を望む」 という声に対して、こう反論する。

「名称などどうでもいいんです。 …外国人に説明するには英訳が重要なのです」と。

これも、「戦力不保持」規定ゆえに自衛隊が「戦力」未満の “非”軍隊である事を余儀なくされている(だからこそ広大な グレーゾーンも発生する)という現実から、目を背けた議論。

問題の本質は、「軍隊」としての条件をきちんと備えられるか 否(いな)かだ。

「名称」や「英訳」などに論点をずらし、 問題を矮小化してはならない。 更に「国民投票で(自衛隊明記の加憲が)否決されたら 『違憲』が定着」という意見にも反論する。

「『違憲だから自衛隊を解散しろというのであれば、やってみろ』と。 そういう勇気はないだろう、 というのが現役の隊員の意見だと私は感じています。

…これまでさんざん『違憲の疑いあり』と言われ続けてきた 存在ですから、仮に否決されてもステータスは何ら変わりないん じゃないか」と。 余りにも乱暴な意見に呆れる。

国民投票の“重み”をここまで蔑(ないがし)ろにするとは。

学者の間に「違憲の疑いあり」との学説が存在するという事と、 約850億円もの国費を投じて、主権者たる国民の意思として “公式に”「違憲である」との判断が下される事とは、全く次元が違う。

「(自衛隊解散を)やってみろ」と開き直れば済む話ではない。 もし国民投票で否決されたら、 自衛隊の正統性は決定的に損なわれる。

それに加えて、自衛隊を「解散」させられなければ (現実として解散させられないだろう)、憲法への信頼も これまでとは桁違いに喪われる。 自衛隊も憲法も双方が致命的な傷を負う。

氏は先の発言の一方で、国民投票を以下のように高く持ち上げる。

「70年間…国民投票という権利を国民が剥奪されてきた… その剥奪された国民投票の権利を取り戻す千載一遇のチャンスが今、 巡ってきています。 この権利を取り戻してこそ、真の主権在民、立憲主義ではないか」と。

その「真の主権在民」に基づいて 「剥奪されてきた国民投票の権利」を行使した結果、 「否決されても…何ら変わりないんじゃないか」というのは、 支離滅裂。

およそ「立憲主義」とは相容れない。

氏は「不毛な議論(違憲論)は現場の隊員に ボディーブローのように効いてきます」とも言う。 ならば国民投票での否決は、 隊員のモチベーションの面で殆どノックアウトパンチではないか。

元自衛隊高級幹部の発言ながら、 「戦力不保持」の深刻な問題性を、 真面目に受け止めているようには見えない。 その上、「剥奪されてきた国民投票の権利」を侮り過ぎている。 立憲主義へのまともな理解もない。

残念だ。

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