終戦の詔書の「訓み方」
戦後の本来の“原点”は昭和20年8月15日の「玉音(ぎょくおん)放送」のはず。玉音放送は、前日に下された「終戦の詔書」(一般に“詔勅”と呼ばれているが、正確には詔書)を、昭和天皇ご自身が読み上げられたもの。ところが、詔書の全文を丁寧に読んだ経験がある人は、今の日本人のうち、どのくらいいるだろうか。
以前、終戦の詔書を収めた複数の出版物のルビ(振り仮名)を見て、玉音放送での昭和天皇の「訓(よ)まれ方」と、食い違っている所が何ヵ所もあるのに気付いた。私がかねて尊敬申し上げている学者が監修されたはずの出版物でも、事情は同様だった。これは従前、玉音放送が蔑(ないがし)ろにされて来た証左でもあろう。
仕方がないので、玉音と違う箇所について、手元にある諸橋轍次『大漢和辞典』(全13巻)、大槻文彦『大言海』(全4巻)、『日本国語大辞典』(全20巻)、新村出『広辞苑』などでチェックした事がある。その結果は以下の通り。
1、「四国」。従来「よんこく」とのルビがあったが、玉音は「しこく」。
2、「四歳」。ルビは「よんさい」だが、玉音は「しさい」。
3、「真に」。ルビ「まことに」だが玉音は「しんに」。
4、「五内」。ルビ「ごだい」、玉音「ごない」。
『大漢和辞典』は「ごない」。他は「ごない」「ごだい」両訓を認める。
5、「大道」。ルビ「たいどう」、玉音「だいどう」。
『大言海』『日本国語大辞典』『広辞苑』は「だいどう」。
『大漢和辞典』は「だいどう」「たいどう」両訓を認める。
以上はいずれも玉音を以て「正しい訓み方」とすべきだろう。玉音放送を拝聴するには『昭和天皇・終戦の詔書 玉音放送』(展転社)がある。
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