少し前に、さる編集者による読書論を読んだ。わりと売れていたはず。 しかし、その内容の薄っぺらさに驚いた。 「言葉」の大切さを力説しながら、その本に出てくる語彙は貧困で陳腐。 中身は、既に言い古された事を無駄に熱く語っているだけ。 勿論、直ちに古本屋に回した。 これに対して、皇后陛下の読書論は、そんな粗雑なシロモノと比べるのも失礼。 実に奥深い。 以下、謹んでその一部を引用させて戴く。 「今振り返って、私(わたくし)にとり、子供時代の読書とは何だったのでしょう。 何よりも、それは私に楽しみを与えてくれました。 そして、その後にくる、青年期の読書のための基礎を作ってくれました。 それはある時には私に根っこを与え、ある時には翼をくれました。 この根っこと翼は、私が外に、内に、橋をかけ、 自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに、大きな助けとなってくれました。 読書は私に、悲しみや喜びにつき、思い巡らす機会を与えてくれました。 本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、 私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、 どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、 本を読むことによってでした。 自分とは比較にならぬ多くの苦しみ、 悲しみを経ている子供達の存在を思いますと、 私は、自分の恵まれ、保護されていた子供時代に、 なお悲しみはあったと言うことは控えるべきかもしれません。 しかしどのような生にも悲しみはあり、 一人一人の子供の涙には、それなりの重さがあります。 私が、自分の小さな悲しみの中で、 本の中に喜びを見出だせたことは恩恵でした。 本の中で人生の悲しみを知ることは、 自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、 他者への思いを深めますが、本の中で、 過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは、 読む者に生きる喜びを与え、失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、 再び飛翔する翼をととのえさせます。 悲しみの多いこの世を子供が生き続けけるためには、 悲しみに耐える心が養われると共に、喜びを敏感に感じとる心、 又、喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。 そして最後にもう一つ、本への感謝をこめてつけ加えます。
読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えてくれました。 私たちは、複雑さに耐えて生きていかねばならないということ。 人と人との関係においても。 国と国との関係においても」 (『橋をかける―子供時代の読書の思い出』) 長い引用になった。 でも是非とも全文を読んで欲しい。 皇后陛下の読書論からは、それを読む者の内面の深さ浅さ、 豊かさ貧しさに応じて、様々なメッセージを受け取る事が出来るはずだ。